アーサー王物語の中で、アーサー王を王と認めず反乱を起こした人物がいました。その中で、
リエンス王とはどのような人物なのでしょうか?
またモデル人物がいるのでしょうか?
リエンス王の概要と、モデルとなった伝説について分かりやすく纏めました。
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アーサー王物語の「リエンス王」の概要
リエンス王の勢力拡大
アーサー王がブリタニアの王になったばかりの時、11人の王たちがアーサー王に反乱を起こしました。
この11人の王たちがべドグレインの戦いでアーサー王に屈した後、 リエンス王は11人の王たちを打ち破り、支配下に置きました。
リエンス王には、 戦場で打ち負かした王たちのヒゲを使ってマントを編む趣味があり 、11人の王たちのヒゲも刈り取りマントに加えました。
リエンス王vsアーサー王
さらにリエンス王はアーサー王のヒゲも欲しくなりました。
そこで、リエンス王はアーサー王に使者を送り、マントに11人の王たちのヒゲを飾ったことを伝え、 さらにアーサー王に対してもヒゲを提供するように要求しました。
アーサー王はまだ若すぎ、 リエンス王に適用できるようなヒゲは無かった、 というジョークはありますが、 アーサー王は多勢の兵を引き連れウェールズを征服に動きました。
両軍はスノードンの戦いでぶつかりました。
リエンス王はアーサー王に敗れ、 古くからの同盟がいる場所まで後退しました。そして再び攻撃を仕掛け、 アーサー王の軍をテリベル城(Castle Teribel)で包囲しました。
しかし要塞の中で、 マーリンはリエンス王の滅亡を企てていました。 マーリンはバリン卿(Balin)とバラン卿(Balan) にリエンス王を待ち伏せすることを指示しました。
そしてリエンス王が僅かな兵を引き連れて城を抜け出し、女性と密会しに行く際のタイミングを見計らっていました。
待ち伏せていたバリン卿とバラン卿はリエンス王を地面にたたきつ け、40人を超える兵を殺害しました。
こうして、 リエンス王は縛られ、 さるぐつわをされてアーサー王の前に運ばれました。そこでリエンス王は決闘裁判にかけられアーサー王に殺されたそう です。
リエンス王の兄弟のネロ卿が反乱軍を続けようとし、オークニーのロット王の援軍を待てていましたが、マーリンによって援軍が遅延し、反乱軍は壊滅しました。
リエンス王のモデル人物について
リエンス王のモデル人物は誰なのでしょうか?
実在の人物なのでしょうか?
リエンス王という名の人物や、似た行動をとった人物は、歴史上には存在していませんでした。しかし、ウェールズの伝説の中にモデル人物はいました。
ウェールズ最高峰の山であるスノードン(Snowdon)には、多くの神話や伝説があります。
その中の一つが、リタ・ガウル(Rhita Gawr)のストーリーです。
リタ・ガウルのウェールズ巨人伝説
古代のブリタニアには多くの王がおり、それぞれの領土を治めていました。お互い主権の奪い合いをするとともに、山の洞窟から攻めてくる巨人リタ・ガウルからも領土を守るため戦わねばなりませんでした。
リタ・ガウルは最も強く暴力的な巨人でした。
リタは、強く、勇敢で、他の王たちよりも際立って大きな体をしていました。
リタは、王冠には興味がなく羊や牛を奪うなどでもなく、変わったマントを欲しがっていました。
王たちのヒゲで作ったマントが自慢
ブリテン島にはニニオ(Nynio )とペイビオ(Peibio)の2人はの王がいました。
2人は論争となり、やがて戦争となりました。
リタは2人の王たちの争いを聞くと、2人に攻撃し争いを終わらせ、2人の財産を奪い取りました。そして、強さと勇敢さの象徴である彼らのヒゲを切り取りました。
勝利の証としてリタは切り取ったヒゲをマントの上に織り込みました。
ブリテン島中の王との戦いでマントが
ブリテン島には他に28人の王がいました。
彼らは、ニニオ王とペイビオ王が敗れてヒゲを刈り取られたことを聞いた時、成り上がっている巨人リタを懲らしめ、駆除する必要があると決めました。
そして28人の王は集結しリタに宣戦布告しました。
血なまぐさい残虐な戦いの末、28人の王は逆にリタに敗北し全てのヒゲを刈り取られてしまいました。
リタのマントにはさらに28人分のヒゲが加えられ、肩から地面に達するまで長くなりました。
さらに海外の地からも、この巨人王を倒そうと戦いを挑んできました。しかし、全ての王はリタに打ち倒されるか殺され、ヒゲを取られました。
数え切れない戦いで倒した100人以上のヒゲで織ったリタのヒゲマントは、とても厚く重くなり、それがリタのどう猛さと権利の象徴となりました。
アーサー王とリタの戦い
しかし、まだ征服できていない王が1人いました。
アーサー王です。
リタはアーサー王のヒゲも欲しいと思いました。
使者がアーサー王の宮殿に送られ、アーサー王のヒゲを剃り、マントを完成させるために遅れることなくリタに送ることを要求しました。
もし拒否するなら、それはリタが強制的にアーサー王のヒゲを引き剥がすことを意味した。
アーサー王はリタの傲慢さに激怒し、すぐに兵を引き連れ、ウェールズのグウィネズ国の高い山にあるリタの要塞に出発しました。
アーサー王とリタは、夜明けにウェールズで最も高い山(スノードン山)の頂上で出会いました。冬の凍える風が彼らの周りを渦巻いていました。戦いはどう猛で惨忍な熱いものでした。
振りかざす剣は砕かれ、鎧は凹み、盾は裂けました。両者のこぶし、足、歯、骨は傷つき、視界は汗と血で暗くなりました。
アーサー王は残された最後の力と決断で、エクスカリバーを振り上げました。
そしてリタの頭蓋骨をめがけて強く振り落としました。
リタは敗北し、リタの兵たちは暗闇に逃げて行きました。
アーサー王と兵たちは、倒れたリタとマントの上に石を積み上げました。
その場所はGwyddfa Rhitta(リタの墓)と名付けられ、時代を経てYr Wyddfa(スノードン山のウェールズ語)と変化しました。
スノードン山の頂上に登った時は、リタの墓標を見ることができます。
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