こんにちは、たなかあきらです。
中世初期のイングランドの中心都市であり、現在は観光地でもあるウィンチェスターについての記事です。
ウィンチェスターの中でも有名な観光スポットである、アーサー王の円卓のゆかりの地であるグレート・ホールについての歴史をご紹介します。
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ウィンチェスター城グレート・ホールの場所
ウィンチェスターはイングランドの南部のハンブシャーにあり、9世紀頃はイングランドの首都だった時代もありました。
※ウィンチェスターの地図
ウィンチェスター城とグレート・ホールの歴史
1066年にノルマンディー公ギョーム2世が、フランスから攻め入りイングランドを征服しました。(後のイングランド王ウィリアム1世)
そして、1067年にノルマン人がイングランドにおける最初のお城として、ウィンチェスター城は建てられました。
グレート・ホールは、1222年~1235年の間に、ウィンチェスター城で生まれたイングランド王ヘンリー3世によって作られました(ウィンチェスター城の一部分です)。
父のジョン王の時代に荒廃してしまったお城を、ヘンリー3世が再建したものです。
グレートホールは33.53m✖16.76mの広さで、高さは16.76mあります。よく見ると、16.76mの立方体が2つある、ダブルキューブ(double cube)の構造をしています。
グレートホールは石造りで、当初は低い壁と屋根に窓がある構造をしていました。その後、美しい装飾のある二つの窓が高い位置に加えられました。
その後、ウィンチェスター城やグレートホールのエピソードは以下になります。
・1302年に、エドワード1世と2番目の妃マーガレットは、ウィンチェスター城が火災で崩壊したときに、辛うじて脱出したそうです。
・1330年にケント伯のエドモンド・ウッドストックがエドワード3世に反逆したとして、ウィンチェスター城の外で首をはねられました。
・ウィンチェスター城はイングランド王室の住居として用いられていましたが、1558年にエリザベス1世が戴冠したときに、ウィンチェスター市に寄贈されました。
・ウィンチェスター城は、清教徒革命の戦いで王党に利用されていましたが、オリバー・クロムウェル率いる議会党の手に落ち、1649年に破壊されました。
・17世紀になって、チャールズ2世によってお城の再建が試みらえましたが、この計画はジェームズ2世によって破棄されてしまいました。
現在は、お城全体は残っておらず、ウィンチェスター城の中にあるグレート・ホールの一部が残されています。
アーサー王の円卓伝説
グレートホールの壁には直径5.5mもある大きな円卓が掲げられています。
これはアーサー王の円卓と呼ばれており、13世紀に造られヘンリー8世の時代に塗り直されました。
この円卓には座席が25席あり、描かれているアーサー王はヘンリー8世を描写したものだそうです。
ウィンチェスター・ラウンド・テーブルの名前は、マーリンの魔法によって書かれているそうです。
ウィンチェスターは円卓だけでなく、アーサー王が城を構えるキャメロットでもある、という説がありますよ。
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・アーサー王の円卓(ラウンドテーブル)の場所は? 円卓は結婚祝いだった?
その他、グレートホールの見どころ
現在のエリザベス女王の高祖母、ヴィクトリア女王(在位:1837年~1901年)の像があります。
中世の庭園の雰囲気がある庭があります。ヘンリー2世の妻で、グレートホールを作ったヘンリー3世の祖母であるエレノアの庭(エレノア女王の庭(Queen Eleanor’s Garden))です。
その他のウィンチェスターでの見どころ
・アルフレッド大王像(ウィンチェスターの街中の道路)
・ウィンチェスター大聖堂
最後に
ウィンチェスターといえば、クリスマスマーケットも有名で、数十万人もの人々が集まり、大いに盛り上がるそうです。
アーサー王伝説とともに、ウィンチェースターを満喫されてはいかがでしょうか。
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