こんにちは、たなかあきらです。
もっとも有名な世界遺産の一つで、皆が行きたいと思っている場所は、フランスにあるモン・サン=ミシェルだと思います。
僕もまだ行ったことが無いので、是非行きたいと思っています。
歴史遺産に観光するのなら、行く前に歴史を知っておくと、なじみがありますし実際に見たときにより感動も大きくなると思います。また、新たな発見も出てくると思います。
モン・サン=ミッシェルが作られた前後からの歴史も含めてお話いたします。
実は、アーサー王物語とも関連があります。
モン・サン=ミシェルとは?
モン・サン=ミシェルは、フランスのノルマンディー地方南部のブルターニュ地方との境に近い、サン・マロ湾に浮かぶ小さな島にあります。
サン・マロ湾は、潮の満ち引きの差が15メートル以上あり、ヨーロッパで最も差が大きい場所として知られています。
このため、モン・サン=ミシェルがある小島は、潮が満ちたときには孤島となり、潮が引いたときには陸続きとなる、有名な特徴があります。
モン・サン=ミシェルは、カトリックの巡礼地のひとつであり、1979年には「モン=サン=ミシェルとその湾」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
モン・サン・ミシェルの意味は(Mont Saint-Michel)、英語名に見る通り「大天使聖ミカエルの山」という意味です。
モン・サン=ミシェルの歴史
モン・サン=ミシェルの歴史を、ローマ帝国が治めていた起源4世紀頃から、建立されるまでを中心に、簡単にお話いたします。
モン・サン=ミシェルが出来る前の歴史背景
モン・サン=ミシェルがある場所は、現在はノルマンディー地方と呼ばれていますが、紀元4世紀ごろまでは、隣のブルターニュ地方とあわせて、「アルモニカ」と呼ばれていました。
アルモニカには主にケルト系民族が住んでいました。
4世紀の後半になると、伝説ではコナン・メリアドクと呼ばれるブリタニアの首長が、ブリトン人を率いてアルモニカにブリタニーと呼ばれる国を作りました。
ブリトン人とは現在のイギリスのウェールズに住むケルト系民族の祖先で、ブリテン島からアルモニカに移住しました(5~7世紀)。
※コナン・メリアドクは伝説によると、アーサー王の祖先と言われています。
現在モン・サン・ミシェルがある島は、もともとモン・トンブ(墓の山)と呼ばれもともと住んでいた先住民のケルト人または、移住してきたブリトン人が信仰する聖地でした。
地図:ブリトン人の移住(ウィキペディアより)
モン・サン=ミシェルとアーサー王伝説
アーサー王は「アーサー王物語」などで英雄として世界的に知られていますが、歴史書から推測しますと、実物は6世紀後半~7世紀初めに現在のイギリスに存在したかも、と考えられる人物です。
アーサー王物語のもととなる12世紀に書かれた「ブリタニア列王史」による話です(史実性は薄いと言われています)
アーサー王(アルトゥールス)はローマ皇帝ルキウスと戦うため、ブリタニアから出航しバルフルールの港に上陸しました。
そうしたところ、とてつもなく大きい巨人がヒスパニアからやってきて、甥ホエルスの姪ヘレナを捕らえて、大天使ミカエルの山と呼ばれる山に逃げました。
この巨人はとても強く、付近の騎士達の攻撃にものともせず、多くの人々をむさぼり食らっていました。
アーサー王はホエルス王の姪を助けるため、人々を巨人から救うため、巨人を退治しに行きました。
アーサー王は剣を抜いて巨人に向かっていきましたが、巨人はこん棒でアーサー王王の一撃をかわし、力でアーサー王をねじ伏せました。巨人は非常に強く、アーサー王がこれほどの強敵に出会ったことはないというくらいでした。
しかし、ついにアーサー王は巨人に致命傷を与えて倒すことに成功しました。
人々は、怪物を倒して人々を解放したアーサー王を称賛しましたが、残念ながらホエルス王の姪ヘレナを救うことはできませんでした。
ホエルス王はヘレナの死をひどく悲しみ、彼女が横たわっている山上の彼女の亡骸の上に教会を建てることを命じました。
その教会は彼女の名にちなんで、「ヘレナの墳墓」と呼ばれています。
ヘレナの墳墓はトンブレーヌ(Tombelame)と呼べれており、現在はモン・サン・ミッシェル島の約3.5kmほど北にある小さな島にあります。
ブリタニア列王史の作者がトンブレーヌの場所と、モン・サン=ミシェルの場所を混同したのかもしれません。
ここも干潮時には浅瀬となり、モン・サン=ミシェル島から歩いて渡ることができるそうです。
モン・サン=ミシェルが建てられた逸話その2(こちらが本命)
708年、アヴランシュ司教オベールが夢のなかで大天使聖ミカエルから、
「この岩山に聖堂を建てよ」とのお告げを受けました。
しかし、オベール司教はただの夢、悪魔のしわざと思いなかなか信じませんでした。
3度目に見た夢では、大天使聖ミカエルがオベール司教の額に指を触れて命じて、稲妻がオベール司教の脳天に落ちました。
オベール司教が目を覚ました時に、脳天に穴が開いていることに気がつき驚いて、夢の中でみた大天使聖ミカエルのお告げは、本物であると信じました。
オベール司教がモン・トンブに小さな聖堂を建てると、それまで陸続きでしたが一夜にして海に囲まれる孤島になったと言われています。
教会内部に飾られた大天使ミカエルとオベール司教のレリーフがあります。
現在の姿になるまでの簡単な歴史
その後、モン・サン=ミシェルがあるノルマンディー地方は、ヴァイキングの攻撃を受け続けました。
10世紀初めに、ノルマン系ヴァイキングの指導者ロロが北フランスを荒しまくり、現在のノルマンディー地方を得て、ヴァイキングの定住がはじまりました。
ロロの孫であるノルマンディー公リシャール1世が、966年にベネディクト会の修道院をモン・サン=ミシェルがある島に建てました。
この修道院が増改築を重ね、13世紀にはほぼ現在のような形になりました。
リシャール1世 (ノルマンディー公) – Wikipedia
中世以来、カトリックの聖地として多くの巡礼者や観光客をあつめてきました。
※ノルマンディー公リシャール1世の子孫である、ノルマンディー公ギョーム2世が1066年にイングランドに攻め入り征服しました。ギョーム2世はウィリアム1世としてイングランド王になった後の歴史も興味深いです。
イギリスの歴史を変えたノルマンコンクエスト(ノルマン征服)の再現が行われた
モン・サン=ミシェルの歴史年表
モン・サン=ミシェルの歴史年表を簡単にまとめました。
・709年:アヴランシュ司教オベール礼拝堂を作る
・966念: ノルマンディー公リチャード1世がベネディクト会の修道院を建てる
・13世紀:増改築を繰り返し、ラ・メルヴェイユが作られ現在の形になる
・14世紀:イギリスとフランスの百年戦争が起き、修道院は閉鎖され要塞になる
・18世紀:フランス革命時は監獄として使用される
・1865年:修道院として再開される
・1979年 ユネスコの世界遺産に登録される
・2014年 景観の修復事業が終了し、対岸と島を結ぶ新しい橋が開通。
最後に
モン・サン=ミシェルの歴史を見ると、ケルト民族、アーサー王物語、建立の逸話、ヴァイキング、イングランド・・・など様々な繫がりがあることが分かります。
歴史自体とても興味深いですし、歴史背景を知ってモン・サン=ミシェルの観光に行くと、さらに楽しめると思います。
僕もぜひ、モン・サン=ミシェルには行きたいと思います。
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