オリンピックの歴史 近代オリンピックの発祥の秘密

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こんにちは。ウェールズ歴史研究家、たなかあきらです。次回2020の東京オリンピックの開催まで、3年ほどになってきました。とても楽しみです。今回はオリンピックの歴史について取り上げたいと思います。

古代オリンピックギリシャ時代にアテネで始まった、というのは皆さんよくご存じだと思います。では現在行われている、近代オリンピックの発祥の地は、どこでしょうか?

ギリシャアテネ
・フランスのパリ
・イギリスのシュロップシャー

では答えを合わせていきましょう。

 

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近代オリンピックを始まりの謎

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近代オリンピックも、古代オリンピックが行われたギリシャの人が自国の遺産を復活さたんじゃないか、と僕は長らく思っていました。しかし、そうではありませんでした。
 

通例の近代オリンピックの創始者

 

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一般的には、フランス人の貴族であるクーベルトンが1896年にアテネで復活させた
とされています。この説が最も知られている情報ですが、これも恐らく正確ではないと言う説が出ています。
 
1890年にマッチウェンロック(Much Wenlock)と言う場所で開催したイベントがありました。イベントに参加していたクーベルトンは、ある物を目撃します。そのクーベルトンが目撃した物こそが、近代オリンピックの発祥である可能性が高いのです。
ではそのイベントでは、何が行われていたのでしょうか?
  

簡単なオリンピックの歴史

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ちょっとここでオリンピックの歴史についてお話ししましょう。オリンピックには簡単にこのように分類されます
・近代オリンピック
 
古代オリンピックは紀元前9世紀ごろに始まったといわれています。古代オリンピックの目的は宗教行事であって、ゼウスや多くの神々をたたえるための体育や芸術の競技祭でした。
しかし、古代オリンピックローマ帝国のテオドシウス皇帝の時に国教がキリスト教と制定され、オリンピア信仰のオリンピックは開催ができなくなり、393年の時を最後に中止されてしまいました。(293回開催)
 
近代オリンピックは1896年に復活し、第一回の近代オリンピックは古代オリンピックが行われた地、ギリシャアテネで開催されました。近代オリンピックは世界平和を目的としたスポーツの祭典になっています。
 
※詳しくは日本オリンピック委員会のページをご覧ください。今回のお話である、近代オリンピックの発祥については書かれていません。

近代オリンピックの発祥の地

 

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クーベルトンが目撃した、イベントが開催されていたのはイギリスのシュロップシャー(Shoropshire)のマッチヴェンリック(Much Wenlick)と呼ばれる街で、イングランドウェールズの国境付近に位置します。そこで、近代オリンピックのもととなる競技が行われていたのです

 

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 ・こんな街です

 

近代オリンピックの始まりは酒を断たせるため?

 

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近代オリンピックの元となる競技が行われたマッチ・ヴェンリックの街に、一人の男がいました。医者であるウィリアム・ブルーケス(William penny Brookes)という人物です。
 

ブルーケスは大衆の人々の肉体的なトレーニングにとても興味を持っていました。つまり、だらだらと酒を飲む人々を酒場から追い出して、肉体トレーニングのプログラムをやらせることは、クリスチャンの人々にとって、とても良い事だとブルックスは信じていました。

そこで、ブルーケスは古代にギリシャで行われていた古代オリンピックと、シュロップシャーに住むイングランド人とウェールズ人に親しまれていたスポーツを組み合わせてみよう、と考えました。
 
そして、ブルーケスはMuch Wenlock Society for the Promulgation of Physical Cultureを1841年に設立したのです。それと同時に、古代オリンピックを復活させよう! という夢も持っていたのでした。
 

マッチ・ウェンロックのオリンピックの競技内容は?

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1850年にブルーケスが考案したウェンロックオリンピックが、マッチ・ヴェンリックの街で初めて開催されました。そして、ウェンロック・オリンピックは毎年開催されるようになります。
 
そこで行われた競技種目は
・競走
・サッカー
・輪投げ
などでした。これらの競技での勝利者には賞金が出ていました。
 
それ以外にも地方ならではのユニークな競技が行われていました。
・目隠しの手押し車レース
・豚の競走
・中世の馬上槍試合
などです。この競技の勝利者には、1ポンドのお茶が贈呈されました。
これらのユニークな競技や賞は、やり投げやトラック競技などが行われ、ギリシャ勝利の女神ニケが彫られたメダルや、月桂冠が授与されるようになってからは、消えてしまいました。
  

ウェンロック・オリンピックの広がり

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ブルーケスはウェンロック・オリンピックを広めて、古代オリンピックを復活させようと精力的に活動しました。ウェンロックオリンピックの名声は瞬く間に広がり、イギリス全体から参加者が来るようになりました。
 
ウェンロック・オリンピックの成功の噂はアテネにも伝わり、ギリシャの国王ゲルギオス1世も、ブルーケスに銀メダルを贈った程でした。
 
この古代オリンピックを復活させようというヴィジョンはイギリスに留まらず国際的な規模へと発展していきました。
 
ブルーケスは1865年にNational(British)Olympic Associationを設立し、ロンドンの
クリスタルパレス(Crystal Palace)で最初の開催をしました。
 

古代オリンピック復活の障壁

しかし、ブルーケスの古代オリンピック復活の活動には、風当たりが良くないこともありました。ブルーケスはスポンサーなしで進めていたため、名高いアマチュアスポーツクラブに所属するアスリート達からは、オリンピックゲームは無視されてしまいました。
たかがウェールズ国境にいる田舎医者の、取るに足るない浅はかなアイディアだと軽蔑されたのです。

しかし、ブルーケスはそれでもオリンピックの復活と普及を目指して、活動を続けました。その姿をみて、ロンドンにいるギリシャの代理大使がブルーケスに手紙を送りました。
「あなたが古代オリンピックを復活させようとし続けていることは、ギリシャ人として借りを感じずにはいられません。」

こんな声に支えられて、ブルーケスは粘り強く活動を続けたと思います。
 

近代オリンピック開催への大きな出会い

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この後、ブルーケスには大きな出会いがありました。最初に書いたフランスの貴族、ピエール・クーベルタン男爵がここで登場します。ブルーケスはウェンロック・オリンピックにとても興味をもったクーベルタンとやり取りをするようになります。

1890年にクーベルタン男爵はウェンロック・オリンピックを見に行きました。それを見てクーベルタンはブルークスの熱意とウェンロック・オリンピックに心を動かされ、古代オリンピックを復活させようという共通の夢を実現しようと決意しました。そして国際オリンピック委員会IOCInternational Olympic Committee)を設立するに至ったのです。

クーベルタンはその時、ヴェンロックの地に植えたフランスのカシの木は、現在も生えているそうです。

 

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クーベルタンはオリンピック開催という願いを叶えようと、自分の富、地位、政治的な繋がりをフルに利用します。そしてついに、1896年の夏に、この上なく受け入れたギリシャの首都アテネで、古代オリンピックの復活させる事に成功したのです。

クーベルタン男爵は世界中から称賛され、ブルーケスもまた真新しいアテネのオリンピックスタジアムのセレモニーに招待されました。

近代オリンピックの夏季大会はこれまでに32回開催され、第33回目が2020年に東京で開催されます。近代オリンピックの発祥となったウェンロック・オリンピックは今もなおイギリスで毎年開催が続けられています。

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