アメリカ大陸は15世紀になるまで発見されなかったのか?
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アメリカ大陸はクリストファー・コロンブスが1492年に発見したと学校で習いましたが、本当ではないというのが通説になっています。
コロンブスがたどり着いたのはキューバの北に位置するバハマ諸島のサン・サルヴァドル島で、1498年に南アメリカ大陸に到着しています。
また発見したというより偶然たどり着いた、また各地で略奪・虐殺に走りとても発見と呼べるものではなかったとの見方です。
また発見したというより偶然たどり着いた、また各地で略奪・虐殺に走りとても発見と呼べるものではなかったとの見方です。
記録上で初めてヨーロッパ人が北アメリカに到達したのは、1497年のジョン・カボットとされています。
しかしすでにこの頃にはアメリカ大陸で、金髪で青い目をしたインディアンに遭遇したり、ヴァイキングが持ち込んだと思われる鉄くぎが見つかったりしており、これら2人の前にもアメリカ大陸に西洋人が訪れた形跡がありました。
ヴァイキングのアメリカ大陸上陸の伝説
1000年にヴァイキングのレイフ・エリクソンがアメリカ大陸に上陸したという伝説があります。エリクソンはアメリカの北西部に上陸しその地をヴィンランドと呼んで移住しようとしましたが、原住民の抵抗で撤退せざるを得ませんでした。
このレイフ・エリクソンはヴァイキングを描いた漫画、ヴィンランド・サガにも登場しています。
12世紀にアメリカ大陸に移住したウェールズ人の伝説
プリンスマドック
プリンス・マドックはなぜアメリカに行ったのか?
レイフ・エリクソンはアメリカ大陸への移住は失敗に終わりましたが、12世紀にウェールズから移住した人物がいました。
その探検家の名前は、北部ウェールズ出身のプリンス・マドック(Prince Madog)です。
※正式にはマドック・アブ・オウァイン・グウィネズ Madog ab Owain Gwynedd
オウァイン・グウィネズの息子マドックという意味
オウァイン・グウィネズの息子マドックという意味
マドックはウェールズの偉大な大王、オウァイン・グウィネズの息子として生まれました。母親は正式な妻ではないため私生児として母の国アイルランドで育ちました。
オワァインには正妻を始め側室やその他の子供が13人以上がおり、ウェールズの法律では私生児を含む全ての子供に財産を当分に分けると決められていました。
つまり、マドックも父の財産の一部を相続する権利を持っていました。 相続する権利のある子供が多いと財産の取り分も少なくなってしまいます。
オウァインが亡くなり、王の座の相続は次男のハウェルと決まっていましたが、欲が深い兄弟のダヴィッズが反逆し兄弟間で相続争いが起きてしまいました。
※10世紀ごろのウェールズ。オウァインは拠点をグウィネズ(Gwynedd)に置き、ウェールズ(水色の部分)をほぼ掌握していた。
マドックは自分の取り分を守ることも考えましたが、争いに巻き込まれるのを避け相続を放棄してウェールズの地も離れる大きな決断をしました。
マドックはアイルランドで暮らしていたとき、航海と船の作り方について慣れ親しんでいました。そこで、弟と約100名の人々と共に航海に出ました。相続を狙う兄弟の刺客から逃れるため、危険を察知しての脱出だったかもしれません。
アメリカに移住を決めたプリンス・マドック
マドックは航海の末アメリカ大陸に上陸しました。1170年にアラバマ州のモービルと呼ばれる地に降り立ったと言われています。ウェールズと比べ温暖な気候で多くの作物が育っている地にすっかり魅了されたマドックは、アメリカに移住する事を決めました。
この素晴らしい土地に住む人をもっと増やそう!と 一度ウェールズにもどり多くの人々をひきつれて移住し、メキシコ湾の各地点やミシシッピ川の河口に多くの集落を作ったと言われています。
さらにマドック達はニューファンドランド、ニューポート、ヴァージニア、カリブ海に面した南アメリカ、パナマ・・・・多くの土地に上陸したと言われています。
プリンス・マドックがアメリカにいた痕跡
マドックがアメリカに移住した証拠などははっきりとは残されていません。このためマドックのアメリカ移住は伝説として語られているだけになっています。
しかし、北米の各地にマドックの名残は残されています。例えばカナダのオンタリオ州にあるマドックは、地名としてマドックの名が残っています。また青い目と金髪をしたウェリッシュ・インディアンと呼ばれる移住者とインディアンとの混血子孫と思われる人々がおり、ウェールズ語を話したりウェールズと同じ船を持っていたりしたそうです。
ウェルシュ・インディアン
マドックの集落跡?
最後にまとめ
プリンス・マドックは相続争いをさけ、自分の得意とする航海技術を生かすことによって大きく人生を変えたと言えます。
アメリカの地を見つけ多くの冒険をし、また多くのウェールズ人をつれて移住した人生はとても楽しいものであったと思います。
アメリカの地を見つけ多くの冒険をし、また多くのウェールズ人をつれて移住した人生はとても楽しいものであったと思います。
逆に、私利欲望をむき出しにしたダヴィッズはどうなったのか?
兄弟をことごとく捕らえるか殺すなどして、グウィネズを我が物に独占してしまいました。
兄弟をことごとく捕らえるか殺すなどして、グウィネズを我が物に独占してしまいました。
ウェールズでは独裁者ではなく、皆の中から選ばれた統治者が国を治めるルールがあり、そんな簒奪者には誰もついてきません。
父の代でせっかく安定を取り戻したウェールズでしたが、ダヴィッズが起こした兄弟間の内乱によりウェールズは荒廃してイングランドの侵略を許してしまいました。ウェールズのイングランド征服を加速させることになります。
ホルヘ・ハルドイ 井上書院 1983-01
※おススメ記事
最後まで読んでくださり有難うございました。
ウェールズの歴史、イギリスの歴史に関するご質問などもお気軽にどうぞ!
t.akr125@gmail.com
コメント
読者登録ありがとうございます!
高校の歴史の授業を思い出しましたΣ(゚Д゚)
勉強になります!!
今後ともよろしくお願いします♪
マドックは、危険を承知でアメリカに渡った。戦う事よりも冒険に出かけることを選んだんですね。大海原の大冒険はとてもロマンがありますが、危険がたくさんあってとても危なかったでしょうね。
僕も、海の男になりたいです。
たなかあきらさん、海の冒険、楽しそうですね。