※オウァイン・グリンドゥール像
世の中には多くの偉大な人がいます。大帝国を築いた人、巨額の財を成した人、大事業に成功した人、人々に多くの夢を与えた人・・・
2002年にイギリスの英国放送局(BBC)がこんな発表をしています。
シェイクスピア、ダイアナ妃、ジョンレノン・・・世の中に大きな影響を与えたそうそうたるメンバーです。
その中で、23位にランクインされている人物に注目しました。
「オウァイン・グリンドゥール」
・オウァイン・グリンドゥールとはどんな人物なのか?
・どんな偉業をなして人々の心をとらえイギリスの英雄として語り継がれているのか?
お話しいたします。
- イギリスの英雄:オウァイン・グリンドゥールとは何者か?
- イギリスの英雄はウェールズ人として最後のプリンス・オブ・ウェールズ
- イギリスの英雄が生きた背景
- イングランドに立ち向かった英雄
- オウァインがイギリスの英雄として親しまれている理由
- 心に残ったイギリスの英雄のまとめ
イギリスの英雄:オウァイン・グリンドゥールとは何者か?
オウァインって誰なんですか?ベッカム、デヴィッド・ボウイ、エリザベス女王、ホーキング博士より上位ですね。全然知りませんけど、そんな有名な人ですか?
オウァイン・グリンドゥール(Owain Glyndwr)は、ウェールズのために立ち上がりイングランドに対抗した英雄なんだ。その姿は多くの人の心をとらえ、ウェールズの英雄だけでなくイギリスの英雄としても称えられているんだ
イギリスの英雄はウェールズ人として最後のプリンス・オブ・ウェールズ
オウァインは14世紀後半から15世紀に活躍し、ウェールズ人として最後のプリンスオブウェールズ(ウェールズ大公)を宣言したんだ。
ウェールズ人として最後、って言いましたけど・・・
オウァイン以降のプリンス・オブ・ウェールズは、イングランドの皇太子が任命され現在のプリンス・オブ・ウェールズはチャールズ皇太子なんだよ。
※公式には13世紀にイングランドがウェールズを征服した際に、後のエドワード2世がプリンス・オブ・ウェールズになり、その時から次期のイングランド王がウェールズ大公に就任する慣わしとなっています
もっとオウァインのこと知りたいです!教えてください!
OK!ではオウァインの生い立ちから話そう!
イギリスの英雄が生きた背景
オウァインは子供の頃からイングランドの侯爵に引き取られて英才教育を受けたんだ。
オウァインが生きた14世紀後半から15世紀にかけてのウェールズは、イングランドの支配下にあり重税や不条理なイングランド法によってウェールズは虐げられ、人々の不満が溜まっていた時代なんだ。
当時ウェールズの多くの土地はイングランドに侵略され奪われてしまっており、ウェールズの為にイングランドと戦いウェールズの独立を守って欲しい、とウェールズの人々はオウァインに懇願したんだ。
しかし、イングランド王に忠誠を誓い、イングランドの生活で不自由を感じていないオウァインは、イングランドと戦う理由がなく断ったんだ。
何でオウァインのようなイングランドにどっぷり浸かった人に人々はウェールズの為に戦って!と頼んだんですか?
それはオウァインの生い立ちにあるんだよ。オウァインはウェールズ3国であるグウィネズ、デハイバース、ポウィスの王室の血筋と繋がっており、最もウェールズ王に相応しい人物と言われていたんだ。(オウァインの父はポウィス国王)
※Gwynedd(グウィネズ)、Deheubarth(デハイバース)、Powys(ポウィス)の各国。
でも戦う気が無かったら意味ないですよね~
イングランドに立ち向かった英雄
オウァインはイングランド諸侯に攻められて領土を奪われた時も、ささいな事と気にせず相手にしなかったんだ。むしろ、イングランド王に忠誠を誓い、イングランドで法律家になるために精を出していたんだよ。
しかし、ウェールズで人々の不満がたまりイングランドに反旗を上げる機運が高まって来ると、徐々にオウァインのイングランドでの立場は悪くなってくるんだ
そして、イングランド王ヘンリー4世から、オウァインは反逆者のレッテルを貼られ、討伐命令が下るんだ。ついにオウァインも態度を変えて、1400年にイングランドに対して反乱を起こし、ウェールズ各国の王の支持も受けてウェールズ全土に反乱は広がったんだ。
※イングランド王ヘンリー四世
オウァインがイギリスの英雄として親しまれている理由
とうとうオウァインは重い腰を上げたんですね。英雄と呼ばれているのだから、反乱は上手く行ったんですか?
反乱は勢いに乗り結構上手く行ったんだよ。オウァインがなぜ英雄として有名人の仲間入りしているのか、その理由を3つ説明しよう!
並はずれた采配力を持っていた
武装したイングランド大軍を、軽装のウェールズ小軍でことごとく破った!
・イングランド軍で勉強したので、イングランド軍の動きを知り尽くしていた
・地形天候を利用し、イングランド軍に急襲をしかけた
・常に士気を高め、無敵のロングボウを利用してイングランド軍をやっつけた
コンウィ城やハーレック城をイングランドから奪い、ハーレック城を拠点として反乱を統率したんだ。反乱は全国に広がりウェールズ全域を掌握し、オウァインは多くの支持者の中で自らプリンスオブウェールズを名乗り戴冠したんだ。
The legend of Owain Glyndwr (part 1 of 8) – YouTube
オウァインは隠れていて山の上からイングランド軍に急襲をしかけ、一気に破った
ブリンブラスの戦い(Battle of Bryn Glas)は印象的だな!
※7分10秒辺り僕に歴史を教えてくれたGideon先生の解説
かっこいいです、オウァイン・グリンドゥール!!
この戦いで大敗したイングランド貴族のエドムンド・モーティマーは何と、オウァインを気に入って見方になってしまったんだ。
なぜ、そこまで彼のもとに多くの味方が集まったんですか?
とても人を惹きつける魅力があった
The legend of Glyndwr part 5 – YouTube
・背が高くハンサムでジェントルマン!
・魅力ある人物で人望高い!
と羨ましい位の人物だったんだよ。オウァインは仲間で集まり楽しく語り合うことが大好きだったんだ。
とても寛大な性格でウェールズ人、イングランド人に関わらず、オウァインの人柄に魅了され集まる人々も多くいたんだよ。まさに慈愛の心で人を磁石のように引きつける存在だったんだなあ。
さらにオウァインは軍師、魅力ある人、だけでなく知力も優れていたんだ。
法律家の才能を活かしてリーダーシップを発揮
独立国家としてのウェールズを十分に統治できるように民主的な法律、議会の案を作成し(ウェールズ各地の代表者と協力)スコットランドやフランスなどともウェールズを独立国家として認める約束を取っていたんだ。
特にフランスから援軍を受けてイングランド軍を破り飛ぶ鳥を落とす勢いだったんだ。
このまま勢いが続けばウェールズは独立国家となり、イギリスの歴史は大きく変わっていたかもしれないね。
ということは・・・
あと一歩というところで、なんとフランス軍が帰ってしまったんだ。形勢をたてなおしたイングランド軍に今度はウェールズ軍は次々と破れ、1409年には最後の拠点も奪われてしまったんだ。
オウァインはその後、捕らわれることはなかったが姿を消し、1415年頃に亡くなったとされているんだ。
そうなんですか・・・残念
心に残ったイギリスの英雄のまとめ
オウァイン・グリンドゥールの反乱は結局失敗に終わってしまいましたが、人を楽しませ人を魅了し人を繋げ、更には多くの人々が勇気づけられ一丸となってイングランドに立ち向かっていったことに感動を与えました。
オウァイン・グリンドゥールはアーサー王のように、民衆が困った時には再び世に現れて救ってくれる神話的存在として語り継がれています。
※時代背景はこちらの記事で
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