◎耐え忍んで時を待つ
プロ野球でずーっと打てず負けていて、これはもう負けた~と思っていたら、最後の最後で逆転サヨナラ打!はらはらしますが見ていて興奮しますよね。プロ野球の逆転打よりも大きな、歴史上の逆転打を放ったイギリスウェールズ王についてお話しいたします。
<登場人物>
カチョー:ウェールズ歴史に詳しい課長
ブーカ:カチョーの部下
◎まずは真田丸で今が旬な真田信繁の逆転人生についても触れておきます。
信繁が真田丸で活躍するよりもずっと前の若かりし頃、信繁は関ケ原の戦いでは西軍に加勢し、父の昌幸とともに上田城に籠城して徳川秀忠の大軍をくぎ付けにしたまま関ケ原の戦いに参加させませんでした。戦後はその罪を問われ死罪は免れましたが、高野山麓の九度山に流罪となり、13年もの長い間落ちぶれた生活を送りました。知り合いに好物の鮭を送ってもらったお礼の手紙からも、その苦しい生活の様子がうかがえます。
「私の方は無事にすごしております。もはやお目にかかることもありますまい。とにかく、年老いた事が残念です。去年から急に老けこんで、病身になってしまいました。歯は抜け落ちますし、髭もほとんど白くなってしまいました。」
四十代前半にもかかわらずあまりにも老け込んでしまっており、武将として名を挙げた人物とは思えないほどです。しかし逆に、不安を抱えた一人の人間なんだなあと親近感を覚えました。その手紙の数年後には、豊臣秀頼から声がかかり指揮官として頭角を現し「大坂冬の陣」の真田丸の激闘で武名をあげ脚光を浴びるようになりました。
◎この真田信繁の人生を見ていると、同じような人生を歩んだなとある1人のウェールズ王を思い出しました。
そのウェールズ王の名はグリフィズ・アプ・コナン
◎12世紀にグリフィズは生まれてから一生波乱万丈の人生を歩み、数々の敵を打ち破りほぼウェールズ全域を統一した英雄的な王です。グリフィズはウェールズ内乱の天下分け目の戦い(ミニッズ・カルンの戦い)に勝利し王の座を確立しましたが、それもほんの束の間、同じ年にイングランドのノルマン軍に攻撃を受け部下の裏切りで捕らえられてしまいました。
意地が激突した因縁の天下分け目の戦い!ウェールズ版 – ウェールズ歴史 偉人エクスプローラー
現在のチェスターで牢に入れられ、真田信繁と同じように長い間囚人として落ちぶれた苦しい生活を送ったんだ。
信繁は復活しましたが、グリフィズは牢から出れたのですか?
十数年後のある日、祭りがある日に囚人たちも外出し市場で食事をとったんだ。その時に、グリフィズの仲間が急襲し鎖を着けた囚人も市民ともども街の外へかっさらって助けたという逸話があるんだ。
すごい、なんて大胆な!
その後、グリフィズはアイルランドで反撃の狼煙を上げウェールズを取り戻しに戦いに挑んだんだ。王が復帰したウェールズ軍は志気高らかにイングランド軍と勇敢に戦い徐々に領土を取り戻していきます。そしてついにウェールズ全土をほぼ手中に収めるまでになりました。当時のイングランド王は赤顔王と呼ばれたヘンリー一世で、当然グリフィズの勢いに対して黙っている訳はありませんでした。再三グリフィズを倒そうとウェールズに戦いを仕掛けていきました。しかし、いずれの試みも失敗に終わりヘンリー一世はウェールズ侵攻を諦めました。その後のグリフィズの時代は平和が続き、数少ない中世ウェールズ黄金時代となったのです。
グリフィズは武勇にも優れていたんですね~
長い間捕らえられ脱出して武を発揮する点は信繁に似ていて、英雄になる点は幸村に似ているかな
10年以上の囚人時代、よく耐えれたなあと思います
グリフィズの成功を見ていると囚人の間、ぼーっとして人生諦をめていた訳ではなく、脱出の手はずを整えその後の戦いの戦略を練り来るべきチャンスを待っていたんじゃないかと思うね。信繁も手紙では落ちぶれているけれど、心の底には希望を持ちつづけて様子をうかがっていたんじゃないかなあ。
会社の仕事と同じですね。不景気な時ほど次の商品開発に力を注ぎ、チャンスが来たときの備えをしなさいって。
「耐え忍びその時にこそ力をためる」
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。また次回をお楽しみに。
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おしまい。
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