アーサー王物語には、「百人の騎士の王」が登場します。
「百人の騎士の王」とはどんな人物なのでしょうか?
・「百人の騎士の王」の概要
・実在の「百人の騎士の王」
についてお話いたします。
👉コチラもどうぞ。(アーサー王物語の登場人物)
アーサー王物語に登場する「百人の騎士の王」の概要
「百人の騎士の王」は、当初アーサー王に敵対していた北の王の1人です。
「姿もいでたちも一点非の打ちどころのない堂々とした人」と書かれています(トマス・マロリー著:アーサー王の死)。
カールレオンで開かれたアーサー王の戴冠式後の大宴会に出席はしますが、アーサー王に敵対して他の5王と共にアーサー王と戦い、敗れました(馬上槍試合)
※「百人の騎士の王」ロット王、ウリエンス王、ネントレス王、スコットランド王、カラドス王
これに腹を立て雪辱を晴らそうと、さらに5人の王を加えた11人の王で、アーサー王に戦いを仕掛けました。(べドグレインの戦い( the Battle of Bedegraine))
「百人の騎士の王」のタイトルですが、実際にはそれ以上の多くの騎士を抱えており、べドグレインの戦いでは4000人の馬上騎士団を作ることができました。
※「百人の騎士の王」の名前は、アーサー王の活躍したとされる6世紀より以前の5世紀初めまで、ブリテン島の大部分はローマ軍の支配下にあり、ローマ軍の「百人隊長」の名残りではないか、と思われます。
べドグレインの戦いの二日前、「百人の騎士の王」は奇妙な夢を見ました。
嵐がやってきて城や街を吹き飛ばし、さらに洪水で流される夢でした。これは吉の夢だろうと解釈され、その通りに「百人の騎士の王」は戦場で大活躍し、ケイ卿やエクトル卿を始めとし、多くの強者を打ちのめしました。
「百人の騎士の王」の大活躍をはじめ、11人の王たちはアーサー王軍に勇敢に立ち向かいますが、王たちの領土にはサラセン人たちが侵略し(アングロサクソン族のことか?)、戦いは休戦となりました。
マラグウィンは、オークニーのロット王がアーサー王への2度目の反乱を起こしたとき、反乱軍には加わらず、アーサー王に降伏しました。
その後、アーサー王が開催する馬上槍試合に参加する場面などが描かれています。
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実在のマラグウィンの概要
実在の「百人の騎士の王」は6世紀の北ウェールズにいました。
マエルグウィン(Maelgwn ap Cadwallon)という人物の説が有力で、父カドワロンの後に北ウェールズの国グウィネズ(Gwynedd)を統治していました。
(マエルグウィン:480~549頃)
父カドワロンも、アーサー王物語に登場する「クラデルマント王」のモデルと言われています。
マエルグウィンは外敵アングロサクソン族に打ち勝ち、ウェールズの勢力を固め、あだ名にグウィネズと国の名前がつくほど、大きな権力を誇った王でした。
※マエルグウィン・グウィネズ(Maelgwyn Gwynedd)
しかし、マエルグウィンは傲慢で気が短く、暴君となってしまいました。
(「アーサー王の死」で描かれている「姿もいでたちも一点非の打ちどころのない堂々とした人」とは異なっています」
・叔父オウァインを殺害し、父カドワロンの後継者となったと言われる
・強欲で手段を選ばず奪い取る(財宝)
・伯父を殺害し、嫁を奪い取る。怒った自分の妻も殺害
※マエルグウィンの記事
👉コチラもどうぞ。(アーサー王物語の登場人物)
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