フランスを救った「ジャンヌ・ダルク」の生涯の概要と映画ジャンヌ・ダーク

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ジャンヌ・ダーク [DVD]

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こんにちは。たなかあきらです。
今回は、フランスを救ったヒロイン、ジャンヌダルクの映画「ジャンヌ・ダーク」をご紹介いたします。

1948年と古い映画で、ジャンヌダルクの伝記映画です。当時アカデミー賞2部門受賞し、7部門でノミネートされてた作品です。

「ひと時の勝利など、人々の記憶からすぐに薄れるが、彼女の名は永遠に消えない」

 

ジャンヌ・ダルクの生涯が良く分かります。 

 

ジャンヌ・ダルクの時代背景(百年戦争)

フランス・ロレーヌ地方の農民の家に、ジャネットまたはジャンヌと呼ばれる17歳の少女がいました。

年頃の娘なのに、友達と遊んだりはせず、信仰心が厚く変わった子供だ、と言われていました。

 

それには理由がありました。
子供のころから、同じ神の言葉がジャンヌには聞こえており、ジャンヌは苦しんでいたのです。

 

 

時代は15世紀初め、フランスとイングランドは百年戦争の真っただ中でした。

フランス王はシャルル6世は精神障害を持っており、国政を十分に行うことは不可能でした。王が不在状態の中、摂政たちが権力争いをしてフランスは乱れていました。

その状況をチャンスとみて、イングランド王ヘンリー5世はフランスに軍隊を送り込んで来たのです。

フランスはイングランドに敗戦続きで、オルレアン付近での戦いにも敗北しイングランドに占領されました。

イングランド支配下の領土は広がり、フランスは窮地に立たされました。

 

※時代背景が良く分かる記事

イギリスとフランスの100年戦争の分かりやすい概要

 

※オルレアン付近のニシンの戦いでフランスは敗北し、半分近くの領土がイングランドの支配下になっていました

ニシンの戦い – Wikipedia

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  イングランド王ヘンリー6世の支配下(イングランドの領土)
  ブルゴーニュ公フィリップ3世の支配下(イングランド側)
  フランス王太子シャルル7世の支配下(フランスの領土)
オルレアンは、イングランド領とフランス領の境にあり、パリもイングランドの支配下にあった
※地図:ウィキペディアより

 

神の啓示

フランスが苦境に立たされている中、ジャンヌが聴く神の言葉は、日ごとに強くなっていきました。ジャンヌには、神の言葉は自分の使命であると思うようになりました。

「国のために戦い、イングランドに勝利をし、王太子シャルルをフランス王にせよ」

 

※王太子シャルルは、シャルル6世の息子で後継者として期待をされていました。しかし、シャルルは王になって戦うより優雅な宮廷生活を撰んでいました。

 

神への信仰心が強いジャンヌは決心し、叔父の助けを借りてロレーヌ守備隊長であるロベール卿に会いたいと願いました。

そしてロベール卿に、「王太子シャルルの元に連れっていってほしい」、と懇願しました。

ロベール卿は田舎娘の突拍子のない話に、耳を傾けようとはせずジャンヌを追い返しました。

 

しかし、ジャンヌは決して諦めませんでした。

来る日も来る日もあきらめずに、ロベール卿に話を聞いてもらおうと城門外に居続けたのです。

 

ジャンヌの姿を見て「ジャンヌは魔女だ」という声が人々からあがりました。

しかし、「フランスを救いシャルルを王にしたい」というジャンヌの思いが、次第に民衆や兵士の心を動かし始めたのでした。

ついに、ロベール卿はジャンヌの話を聞きその熱意に心を打たれ、従者をつけてシャルル王太子のもとへ、ジャンヌを送ったのでした。

 

魔女か信者か 

フランスが窮地にさらされている中、王宮ではシャルル王太子や貴族たちは遊びにふけっていました。

王太子は戦争をして命の危険にさらされるより、遊びを好み王になって国を導く意思も持っていませんでした。

それに、ジャンヌが道中で見るフランス兵たちも酒や女に溺れて堕落しており、フランスが勝利する状況からは程遠い状況でした。

 

「国のために戦い、イングランドに勝利をし、王太子シャルルをフランス王にせよ」

ジャンヌは必死で神の啓示の内容を王太子に訴えました。

 

「神の声など聞けるはずはない」 

王宮では皆が口々にジャンヌを非難しました。

 

ジャンヌは異端の魔女なのだろうか?
それとも正しい信者なのだろうか?

 

どちらかを見極めるべきだ!

ジャンヌは聖職者たちから、身体検査から様々な審議を受けたのでした。

 

その結果、ジャンヌは異端の魔女ではなく、ジャンヌが訴える神の啓示は正当性があると判断されました。

シャルル王太子もジャンヌが言っている事が本当に実現するのではと思える、と言いジャンヌに協力することになりました。

 

オルレアン包囲

こうして、誰も知らない田舎少女の行動ですが、あきらめない強い熱意に人々は心を動かされ、ついにシャルル王太子もフランス一国をも動かすようになったのです。

ジャンヌ自身も願いがかない、甲冑を身にまとって戦地へ突入していきました。

 

「神を信じ、神に従いなさい。そうすれば、必ず勝利します」

奪われたオルレアンを取り戻そう、とジャンヌの言葉に押されたフランス軍は勇敢にイングランド軍に向かって行きました。

 

しかし、戦況は思うようには好転せず、ジャンヌも矢を射られて傷を負ってしまいました。

 

フランス軍は、敗戦を受け入れて退却を始めた。

 

しかし、傷ついた体に鞭を打ち、ジャンヌは敵に立ち向かっていこうとした。その熱意に心を動かされたフランス軍は奮闘し、ついにイングランド軍に勝利しオルレアンを取り戻したのであった。ジャンヌは英雄・ヒロインとなった。

こうして、王太子シャルルは、シャルル7世としてフランス王となり、ジャンヌの夢はかなったのである。

※ジャンヌ率いるフランス軍が、歴史的勝利したオルレアン包囲戦

オルレアン包囲戦 – Wikipedia

 

永遠に消えない名

イングランドに奪われた領土を、さらに取り戻すため、パリを取り戻すため戦いを続けなければならない、それが神に従うことだ、とシャルル7世に訴える。しかし、戦いを好まないシャルル7世は、イングランドと休戦協定を結ぶのであった。ジャンヌは戦いを禁止され、失意に落ちるのであった。

 

休戦期間が終わるとジャンヌは軍を率いて強行手段に出た。コンピエーニュ包囲戦の援軍として戦地に向かい、イングランド側のブルゴーニュ公国軍と戦ったのである。

不運にも、ジャンヌはブルゴーニュ公国軍に捕らえられてしまい、イングランド側に引き渡されてしまったのである。

コンピエーニュ包囲戦 – Wikipedia

 

イングランドにとって、フランスの人々を勇気づけヒロインとなったジャンヌの存在は目ざわりであった。しかし、簡単に処刑をしてしまうと、フランス国民の反感を買ってしまい、逆効果の恐れがある。そこで、ジャンヌをキリスト教の異端の魔女であり、悔い改めないために処刑する、というシナリオを考えた。

ジャンヌは投獄され厳しい不衛生な環境で、再三にわたり不利な誘導尋問を受けた後、異端の罪を犯したと判決が下った。そして、1431年5月30日に火あぶりの刑に処された。わずか19歳だった。

 

「ひと時の勝利など、人々の記憶からすぐに薄れるが、彼女の名は永遠に消えない
彼女の灰や言葉は国中に種をまき、あらたな芽を出すだろう
そして、この国を未来へ導くだろう
今後何世紀にもわたり語り継がれる聖女の物語となり・・・」

 

マックスウェル・アンダーソンの舞台劇「ロレーヌのジャンヌ」を映画化したもので、主役のジャンヌ・ダルクはイングリッド・バーグマンが演じる。イングランドとの百年戦争において、神の啓示を受けフランス軍を率いた少女ジャンヌ・ダルクの物語。(1948年)

 主演:イングリッド・バーグマンが演じるジャンヌが美しい

 

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最後まで読んでくださり、有難うございました。

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