こんにちは、たなかあきらです。
「ベイドン山の戦い」
はケルト系のブリトン族とアングロ・サクソン族との戦いで、5世紀の終わりから6世紀の初めにかけて起こったと考えられています。
ブレトワルダ(最も勢力の強かった王の称号)のアエラ王が率いるサクソン軍に対しブリトン族は大勝利し、アングロ・サクソンの王国が拡大するのを阻止しました。
ブリトン軍を率いて活躍したリーダーは誰でしょうか?
今日では、アーサー王が「ベイドン山の戦い」に勝利したと考えられています。
・歴史書には「ベイドン山の戦い」はどのように記述されているのか?
・かっこたる証拠はないものの、「ベイドン山の戦い」は現在のどの場所で行われたのか?
定説ではバースと言われていますが、7か所の候補地についてお話を致します。
おすすめ:👉分かりやすいアーサー王物語と伝説のあらすじ
歴史書に見る「ベイドン山の戦い」
「ブリトン人の没落」
6世紀にイギリスにいたキリスト教司祭ギルダスが書いたとされる『ブリトン人の没落』と言われています。しかしアーサー王という名前は直接は出ておらず、アングロサクソン人と戦ったケルト人指揮官がいたことが、記述されています。
「ブリトン人の歴史」
9世紀にネンニウスによって書かれた『ブリトン人の歴史』(828年頃)では、アーサー王に関する具体的な記述がある初めての歴史書です。
アーサー王は単なる軍の指揮官または戦士として登場し、12の会戦が記録されており、一人で960人のサクソン敵兵を倒したと記述があります。この戦いが「ベイドン山の戦い」と考えられています。
「カンブリア年代記」
11世紀に書かれた『カンブリア年代記』では、ベイドン山の戦いは516~518年とされています。アーサーは三日三晩の間十字架を両肩で担ぎ、ブリトン人が516~518年の戦いに勝利(おそらくアングロサクソン族との戦い)したとされています。
参考:
👉アーサー王伝説 アーサー王は実在したのか?歴史書にみるアーサー王と先祖
「ベイドン山の戦い」の実在の場所
ベイドン山の戦いは、現在のどこに位置するのでしょうか?
明らかな証拠は見つかっていませんが、幾つか候補地を挙げます。
リディントン城の説
youtu.be
イングランドのウィルトシャーにある、リディントン城が「ベイドン山の戦い」が行われた場所の候補地です。
リディントン城は鉄器時代(紀元前800年~紀元100年頃)に造られた要塞であり、バドベリー城(Badbury Castle)とも呼ばれています。その要塞または要塞跡が、ベイドン山の戦場となったのでしょう。
BadonとBadburyの名前も似ていますし、リディントン城の場所はアエラ王の領土(South Seaxe)からも近い事から、リディントン城の可能性もあるでしょうね。
・リディントン城(ウィルトシャー)の場所
Badbury, Wiltshire – Wikipedia
※アエラ王の領土(赤く囲った付近が、South Seaxe)
500~550年ごろのブリテン島の勢力範囲
The Anglo-Saxon Conquest in Mapsより
バドベリー・リングスの説
youtu.be
イングランド南西部のドーセット州にあるバドベリー・リングス(も候補地として挙げられています。
バドベリー・リングスも鉄器時代に造られた要塞で、名前もベイドンに似てますし、場所もアエラ王の領土(South Seaxe)からも近い事から、リディントン城と同じ理由で「ベイドン山」の候補地と考えられます。
※バドベリー・リングス(ドーセット)の場所
有力なバース(Bath)の説
最も有力な説は、ベイドン(Badon)はイングランド南部のサマーセット州にある現在のバース(Bath)であるという説です。
バースの近郊には、リトル・ソルスベリー丘とバサンプトン・ダウン丘があり鉄器時代の要塞であった場所です。
先に説明しましたリディントン城やバドベリー・リングスとも場所的に近く、アエラ王の領土の近郊に位置しており、ベイドン山の有力な候補地です。
・リトル・ソルスベリー(Little Solsbury)
Solsbury Hill – Wikipedia
・バサンプトン・ダウン(Bathampton Down)
Bathampton Down – Wikipedia
バースには有名なローマ風呂があり、ローマ人たちはバースの事をスリスの水( Aquae Sulis、the waters of Sul)と呼んでいました、と考えられています。
※リトル・ソルスベリーとバサンプトン・ダウンがあるサマーセット州
2つの丘の中でもリトル・ソルスベリーが有力な説であり、バースから2km離れた場所にあり、バースの市街や周辺が良く見渡せます。
バースは領土拡大の絶好の場所で、サクソン軍はターゲットとして狙い577年に奪ったとされています。
ボウデン丘の説
ボウデンの丘(Bowden Hill)はスコットランドのエジンバラの近く、リンリスゴー(Linlithgow)にあります。
Bowdenの名前もBadonに似てますし、円卓の騎士たちの多くのモデル人物はスコットランド付近の統治者が多く、アーサー王はブリタニアの北部の王であったという説から来ています。
参考記事:例えば👉実在人物のアーサー王とパーシヴァルの関係
※場所
映画キング・アーサーでも「ベイドン山」の戦いは描かれており、場所はハドリアヌスの長城のすぐそばの、スコットランドになっています。
その他の候補地
・バドベリー・キャンプ(Badbury Camp)
場所:オックスフォード州
Badbury Hill – Wikipedia
・マイネッズ・バーダン(Mynydd Baedan)
場所:ウェールズ南部
Mynydd Baedan Map – Wales
・ダンバートン(Dumbarton)
場所:南部のスコットランドにあります。
Dumbarton Castle – Wikipedia
最後に
「ベイドン山」の戦いの実際の場所の詳細は、今までの所良く分かっていません。しかし、いずれの場所も可能性はあり、それぞれの場所でのベイドン山の戦いを想像してみるのも、興味深いのではないでしょうか。
新たなアーサー王の像が見えてくるかもしれません。
おすすめ:👉分かりやすいアーサー王物語と伝説のあらすじ
アヴァロンの場所:👉アーサー王の墓 アヴァロンはどこにあるのか?
キャメロットの場所:👉アーサー王の城 キャメロットはどこだ? 6つの候補地を紹介
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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