(18.7.27更新)
こんにちは。ウェールズ歴史研究家、たなかあきらです。
ウェールズの直系の血筋を引くテューダー朝。テューダー朝2代目のイングランド王、ヘンリー8世(在位1509年~1547年)は稀代の悪王として名高いです。しかし、本当に悪事ばかり働いていたのでしょうか。
実は、インフランド国王の中で最もインテリで教養あふれ、魅力的な人物であった、という面もあります。ヘンリー8世はどんな人物だったのでしょうか?
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・テューダー家の歴史 起源〜テューダー朝の始まりまで
・テューダー家の歴史 6代続いたテューダー朝の概要
ヘンリー8世の最大の不評
※ヘンリー8世を描いたドラマ、チューダーズより
ヘンリー8世が悪王と言われている点について、簡単に紹介しておきましょう。ヘンリー8世は6度の結婚をして、2人は処刑し、2人は無理やり離婚した経歴を持っています。この点が、ヘンリー8世が悪王といわれている、最大のポイントです。
しかし、世の中の情勢を考えると、やむを得ない部分もあったかもしれません。ヘンリー8世は、イングランド王位を巡って争ったばら戦争の歴史を振り返り、テューダー朝は男性君主で安定化させるため、男子の世継ぎを強く願ったため、という理由もあります。
1.キャサリン・オブ・アラゴン
強国スペインの王女で、24年間の結婚生活をつづけ、メアリー(のちのメアリー1世)を生みます。男子に恵まれず世継ぎを欲したヘンリー8世は、結婚後数か月で亡くなった兄アーサーの妻との結婚は、宗教的に神にたたられるとして、離婚に踏み切りました。
2.アン・ブーリン
エリザベスを産みますが(のちのエリザベス1世)、姦通罪と近親相姦の罪を着せられ処刑されました。
3.ジェーン・シーモア
エドワード6世を出産しますが死亡します。
4.アン・オブ・グレーヴィス
肖像画があまりにも美化されて実物とはかけ離れ、初対面でヘンリー8世は激怒します。結婚はしたものの、直ぐに離婚となりました。
5.キャサリン・ハワード
アン・ブーリンの姉妹。元恋人との関係を疑われ反逆罪で処刑されました。
6.キャサリン・パー
ヘンリー8世の子(メアリー、エリザベス、エドワード)とも良い関係を築き、メアリーとエリザベスの王位継承権を復活させます。ヘンリー8世の最後も看取りました。
ヘンリー8世の功績
ヘンリー8世は1509年に、17歳の時にイングランド王になりました。父ヘンリー7世がイングランド王室の後継争いであった薔薇戦争を終結させ、テューダー朝をつくり、ヘンリー8世はその2代目でした。
テューダー朝のを強化してイングランドを強い国にしなければならない、ヘンリー8世は政治的な手腕を振るいました。
・王立海軍の創立
イングランド海軍はたった3隻しか船を持っていませんでしたが、36年の統治の間に50隻に増やして強化しました。
・絶対王政の確立
ウェールズ、スコットランド、アイルランドの統治権を強めて統合を進めました。特にウェールズ法諸法(1535-1542)によってウェールズをイングランドに編入しました。
※ヘンリー8世はウェールズ直系の血筋で、ウェールズ人を多く起用したことから、ウェールズの人々には人気があったそうです。
・宗教改革
ローマカトリックから離れて、イングランドのプロテスタントを分離させ、イングランド国教会を設立しました。
ヘンリー8世の魅力
ヘンリー8世は、一個人としてはとても魅力あふれる教養人でした。イングランドの統治者だけでなく、武道家、文筆家、作曲家、スポーツマン、学者としても活躍した、芸術を愛するインテリだったのです。
スポーツマンとしてのヘンリー8世
ヘンリー8世は6フィート(182cm)を越える大柄な人物で、若いころはレスラーのチャンピオンになったりしました。テニス、狩猟、馬上槍試合が大好きで、自ら鎧に身を固めて試合に出たりしていました。
※ドラマ、テューダーズより
文筆家としての、ヘンリー8世
文章を書き詩を読むことも好みました。イングランドの最も古い民謡の一つである「グリーンスリーブス(Greensleeves)」の作者はヘンリー8世ではないか、という説があります。ヘンリー8世が、2番目の妻アン・ブーリンのために書いたと言われています。
曲になっており、誰でも知っているメロディーですね。
作曲家としてのヘンリー8世
ヘンリー8世は、自ら楽器を演奏し作曲も行いました。ヘンリー8世が作曲したもっとも有名な曲は、「Pastime with Good Company」で、とても美しいメロディーで一度くらいは聴いたことがあるんじゃないか、と思います。
学者としてのヘンリー8世
宗教家としても活躍し、学術的な論文を書いたりしました。1517年にルターが95か条の論題を発表すると、それに反論する論文を自ら公表しました。ルターの宗教改革に反対し、当時のローマ教皇レオ10世もヘンリー8世を支持し「信仰の擁護者」の称号を贈られました。
また、キリスト教建築にも関心があり、クライストチャーチ、パンプトンコート、ホワイトホール、トリニティカレッジなどを改修しました。
クライストチャーチ・カレッジ
ハンプトン・コート宮殿 – Wikipedia
トリニティ・カレッジ (ケンブリッジ大学) – Wikipedia
ヘンリー8世の最後
教養あふれ武人としても優れたヘンリー8世でしたが、45歳の時に馬上槍試合で落馬したことが原因で、健康を害します。
その後は、太り続け4年の間にウェストは17インチ(約43センチメートル)も成長し、約140cmほどもあったそうです。偏頭痛、痛風、潰瘍、歯茎の出血、副鼻腔のう胞など、数々の病気に悩まされ、1547年に55歳で亡くなりました。
ヘンリー8世が亡くなったとき、鉛の棺桶に入れられたましたが、埋葬される前に突然、棺桶のふたが自発的に開いたそうです。
実は、ヘンリー8世の遺体から出るガスが原因だったようです。
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※ヘンリー8世の参考記事
イングランド悪王のパロディー ヘンリー8世
シェイクスピアの作品 「ヘンリー8世」を読んだ感想
チューダーズ <ヘンリー8世 背徳の王冠> DVD-BOX1
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最後まで読んでくださり有難うございました。
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