写真:ダブリン城
こんにちは、たなかあきらです。
今回はアイルランドの歴史の概要を分かりやすくお話します。
アイルランド島はグレートブリテン島の西側に位置します。
ヨーロッパ大陸から移住したケルト系文化とカトリック信仰の独自文化を持っていますが、長い間イングランドの支配を受けていました。
18世紀以降は独立運動が起き、20世紀に自治が復帰しましたが、北部はイギリスにとどまっています。
※コチラもご参考に
👉分かりやすい中世のイギリスの歴史①(イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランド)
👉分かりやすい中世のイギリスの歴史②(イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランド)
- アイルランドの歴史の超概要
- 先史時代の歴史(紀元前8000年 – 紀元前 数世紀頃)
- 古代の歴史(紀元前 数世紀頃~5世紀初め頃)
- 独自のカトリック信仰の広がり(5世紀初め頃~8世紀頃)
- ヴァイキングの襲来(8世紀末~11世紀頃)
- ノルマン人の侵攻(12世紀~14世紀初め頃)
- イングランドの支配後退(14世紀~15世紀)
- イングランド支配(16世紀~19世紀)
- アイルランド自由国の建国・独立~
アイルランドの歴史の超概要
アイルランドのごく簡単な歴史概要を年表で表しました。
この順にお話をしていきます。
・先史時代:紀元前8000年頃~
(ケルト民族が侵入する以前。旧石器&新石器時代)
・古代 :紀元前数世紀頃~5世紀初め頃
(ケルト民族の支配がはじまる)
・独自のカトリック信仰:5世紀初め頃~8世紀頃
(多神教からキリスト教へ)
・ヴァイキングの侵略:8世紀~11世紀
・ノルマン人侵攻:12世紀~14世紀
・イングランド支配減衰:14世紀~15世紀
・イングランド支配:16世紀~19世紀
ヘンリー8世、クロムウェル、ウィリアム3世の支配、
・アイルランド独立運動~独立:19~20世紀
- アイルランドの歴史の超概要
- 先史時代の歴史(紀元前8000年 – 紀元前 数世紀頃)
- 古代の歴史(紀元前 数世紀頃~5世紀初め頃)
- 独自のカトリック信仰の広がり(5世紀初め頃~8世紀頃)
- ヴァイキングの襲来(8世紀末~11世紀頃)
- ノルマン人の侵攻(12世紀~14世紀初め頃)
- イングランドの支配後退(14世紀~15世紀)
- イングランド支配(16世紀~19世紀)
- アイルランド自由国の建国・独立~
先史時代の歴史(紀元前8000年 – 紀元前 数世紀頃)
先史時代のアイルランドの歴史を簡単に年表で表します。
・紀元前7000年以上前(旧石器時代):アイルランド島に人々が移り住む
・紀元前4000年頃(新石器時代):農耕が始まる
・紀元前2,500年頃:青銅器文化
・紀元前1,
・紀元前600年:鉄器時代が始まる
この頃アイルランド島に住んでいた人々は、ヨーロッパ先住系(北欧、バルカン半島に多い)ハプログループI (Y染色体で碧眼で金髪)に属す人々と考えられます。
古代の歴史(紀元前 数世紀頃~5世紀初め頃)
ヨーロッパ大陸からケルト人がアイルランド島にやってきたのは、紀元前600~150年頃です。北西ヨーロッパのケルト系民族(ゲール人)がアイルランド島に侵略し、先住民たちを征服しました。
※時代ははっきりしないがグレートブリテン島にもケルト系民族が侵略していた(アイルランドよりも前の時代と考えられる)
当時のヨーロッパは、ローマ帝国や中央ヨーロッパのゲルマン民族が勢力を広げており、ケルト系民族は彼らに追われる形で西へと移動しました。
ゲール人たちは家父長制の小王国を形成していましたが、次第に権力を誇る王国に統合支配されました。
※400年頃のアイルランド島は6程の王国に分かれていました
ローマ人たちはアイルランドをヒベルニアと呼んでいました。
西暦43年にローマ帝国はブリタニア(北部を除くグレートブリテン島)を征服し、410年にローマ軍が撤退するまで支配をつづけました。
アイルランドはローマ帝国に支配されることはありませんでしたが、ローマ文化の絵一興は大きな影響を受けました。
独自のカトリック信仰の広がり(5世紀初め頃~8世紀頃)
聖パトリック像(ウィキペディアより)
アイルランド島ではいくつかの王国に分かれて内乱を繰り返していました。これらの王国を実質的に支配していたのは、ドルイドの僧侶たちでした。
※ ドルイドはケルト社会の最上位階級をしめて、王にもまさる精神的権威を認められていました。宗教と魔術、裁判や教育、病気の治療などの役割をになっていました。
このドルイド社会からキリスト教の社会に変化していきます。
アイルランドにカトリック教会のキリスト教を伝えたのは、5世紀ごろの聖パトリック(パトリキウス)です。
聖パトリックは現在のウェールズでクリスチャンの家庭に生まれましたが、海賊に拉致されアイルランドに奴隷として売られました。その後、脱出してウェールズに戻り、ヨーロッパで神学を学びました。
そして、432年に再びアイルランドを訪れ布教活動を続け、
アイルランドでは独自の修道院文化が発達し、
6世紀~7世紀にかけて、アイルランドの修道院は学びの中心地であり、聖クルンバや聖コルンバヌスなどの宣教師を、ヨーロッパ各地に送り出していました。
この頃のヨーロッパは、戦乱、疫病、政情不安定などが続いた暗黒時代(Dark Ages)でしたが、アイルランドは宗教、著書、アートなどが発達した黄金の時代でした。
アイルランドではヴァイキングが8世紀末に侵略するまで、平穏が続き、
※聖パトリックは今でもアイルランドの守護聖人とされ、命日の3月17日はセント・パトリック・デー (St.Patrick’s day)で、アイルランドの国民的祝日となっています。
※アイルランドはカトリック信仰が根強く、
500年頃から、アイルランドからスコット人(アイルランド人のことをスコット人と呼んでいた)が海を渡り、スコットランドの西岸部に侵略してダル・リアダ王国をつくりました。
さらに843年にダル・リアダ国王のケネス1世はアルバ王国を合わせて、スコットランド王国を建国しました。
このように、中世前期のアイルランドとスコットランドには深い関係がありました。
参考記事
👉スコットランドの歴史 スコットランド王国成立の超概要
ヴァイキングの襲来(8世紀末~11世紀頃)
9~11世紀にかけて、アイルランドは北欧のヴァイキングの侵攻を受け、ダブリンなどの港を占領されました。
9~12世紀の西ヨーロッパではヴァイキングが猛威を振るっていました。
イギリス、フランス等を中心に各地を襲い殺掠、略奪を繰り返し西ヨーロッパ諸国を広く支配するようになりました。
参考記事
👉ヴァイキングの歴史 ヴァイキングが強かった理由、語源や特徴、支配した国々
1014年にアイルランド上王、ブライアン・
ヴァイキングはアイルランドの沿岸部を一時的に支配しましたが、イングランドとは異なり領域的な支配は行われず、アイルランドの交易を盛んにしました。
アイルランドを拠点として、イングランド西岸やウェールズに攻撃をしたヴァイキングたちもいました。
※図中のスカンジナヴィアン・ヨークの領域
図はEngland and Wales AD 900-950より
ノルマン人の侵攻(12世紀~14世紀初め頃)
1066年、アングロ・
そして、12世紀になるとノルマン人の侵攻がアイルランドにも及
参考👉イングランドの征服王と呼ばれたウィリアム1世のカリスマ性の秘訣
12世紀までに、
レンスター王ダーマック・マクモロー(Dermot MacMorrough)は、新たな上王ローリー・オコナー( Rory O’Connor)によって国外に追放されていました。
ダーマック王は王国を取り戻すためにノルマン人の協力を得ました
・1167年にノルマン人リチャード・フィッツゴッドバード・デ・ロシュ(Richard fitz Godbert de Roche)がアイルランドに上陸しました。
・1169年にウェールズおよびフランドルからのノルマン軍がダーマック王に協力し、レンスター王国を奪回し、
ダーマック王はノルマン人貴族のリチャード・ド・
ヘンリー2世(ノルマン人)は、イングランド王国以外にノルマン人の勢力ができることを懸念し、アイルランド侵攻を始めたのです。
アイルランド王ダーマック
1171年にヘンリー2世はイングランド王として初めてアイルラ
そしてヘンリー2世は、息子のジョン王にアイルランド太守の称号を与え、
ヘンリーはウォーターフォードとダブリンを王領都市として宣言し
ジョンが兄リチャード1世を後継してイングランド王となると、
イングランド国王の支配下にあるノルマン人たちは領土を拡大して
※1300年頃のノルマン人の支配領域(薄い黄色の部分)ウィキペディアより
イングランドの支配後退(14世紀~15世紀)
このように12~13世紀にかけて、
しかし、14世紀になるとイングランドの支配力は低下していきま
1315年にスコットランドのエドワード・ブルース(
結果的にエドワードは敗北しましたが、この戦乱を利用して、
また、イングランド自体も変化していました。
これらアイルランド人たちの抵抗や、
※黒死病
1348年にペスト(黒死病)がアイルランドに上陸し、
イングランド支配(16世紀~19世紀)
ヘンリ8世のアイルランド支配
イングランドはアイルランドの王権を保持していましたが名目だけ
イングランドではばら戦争が集結し、ヘンリー7世がテューダー朝
そして、イングランドの目は再びアイルランドに向き始めました。
ヘンリー8世はカトリックのローマ教皇と対立し、
アイルランドは独立した国ですが、
ヘンリー8世はプロテスタントをアイルランドにも強要しましたが
宗教的な対立や、イングランド支配に対する抵抗により、
しかし、1603年にアルスターはイングランドに敗北して植民地
※アルスター(現在の北アイルランド)
参考記事👉イングランド王 ヘンリー8世 6人の妻たちへの悪事と功績
クロムウェルのアイルランド征服(1649年)
イングランドでピューリタン革命により権力を握ったクロムウェ
アイルランドではクロムウェルへの恨みを残す形となり、
ウィリアム3世のアイルランド征服
1688年、イングランドでは名誉革命が起きました。
カトリック派のイングランド王ジェームズ2世は、
しかし、アイルランドのカトリックはウィリアム3世を国王と認め
1690年にボイン川の戦いが起こり、ジェームス2世のアイルラ
カトリックに対する刑罰法(Penal Laws)はこれまでよりも増して厳しくなりました。
イングランドによる併合(1801年)
アメリカ合衆国の独立(1776年)、フランス革命(1789年
これに対し、
※1707年にイングランド(ウェールズを含む)
1800年に合同法を成立させ、1801年にはアイルランド議会
アイルランド自由国の建国・独立~
アイルランドの多くのカトリック教徒は差別され、
19世紀:アイルランド独立運動がおこる
1922年:
英愛条約による講和によって、南部・西部アイルランドの26地方
プロテスタントが過半数を占める北アイルランド6州は現在もイギ
1937年:名称をアイルランド(エール)と変えました。
1949年:イギリス連邦から脱退し、
アイルランド国旗:緑はカトリック、オレンジはプロテスタント、
※参考記事
・「イギリス」の正式名称と名前の由来、イングランド、スコットランド、ウェールズの違い
・分かりやすいスコットランドの歴史概要
・イングランドの歴史 アングロ・サクソン七王国の概要
※コチラもご参考に
👉分かりやすい中世のイギリスの歴史①(イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランド)
👉分かりやすい中世のイギリスの歴史②(イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランド)
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