※監獄から脱出しようとするグリフィズ・アプ・コナン
ウェールズは外敵だけでなく内乱も多く起きており、特に内乱が続いた時代もありました。
今回第5話は、大王がウェールズを統一した後、再び王家が分裂してウェールズの主導権が目まぐるしく変わった、ウェールズ版の南北朝時代(950年~1181年)についてお話しいたします。
※時代の区切りや呼び方は、たなかあきらが独自に表現しているものです
※簡単なウェールズ歴史年表。今回の話は7世紀後半~9世紀前半になります
※全体の記事
ウェールズ版の南北朝時代の幕開け
南北朝時代の幕開け
前回(第4章)の統一時代では、ハウェル・ザ・グッド王がウェールズをほぼ統一して、平和な世を取り戻したのに。また戦乱の世になってしまうのですね。
残念ながらそうなんだよ。ウェールズ王室の正当性を主張する北部のグウィネズ(Gwynedd:アベルファラウ家)と、優れた統治者を輩出した南部のデハイバース(Deheubarth:アベルファラウ家)に、分裂するんだ。お互いの子孫が主導権を狙って争うんだよ。
※ディネヴァウル家(Dinefwr)はウェールズをほぼ統一したハウェル・ザ・グッド王の家系。アベルファラウ家(Aberffraw)はハウェルと争い合ったイドワル・ヴォエルの家系。
※9世紀頃のウェールズ王室の家系図
※アベルファラウ家の拠点は、北ウェールズのアベルファラウ(Aberffarw)にあります。一方、ディナヴァウル家の拠点は南ウェールズのディネヴァウル(Dinefawr)にあります。
下剋上も同時に起こる
ウェールズ王室が南北に分かれただけでななく、分裂した家系の中で後継争いも頻繁に起こっていたんだ。
さらに南北朝の戦いと家系の内乱のスキをついて、両方の家系以外の人物が出現してウェールズ政権を奪った下剋上のような出来事も、しばしばあったんだよ。
なんと、南北朝+お家争い+下剋上の三つ巴ですか。複雑ですが、おもしろそうですね。
南北朝時代の概要
どんな、ぐちゃぐちゃだったか!を説明しよう。ウェールズ北部の主導権を握った統治者を年代ごとに示すよ。分かりやすいように色分けしたよ。
青文字:アベルファラウ家出身の統治者(アベル家と省略)
赤文字:ディネヴァウル家出身の統治者(ディネ家と省略)
黒文字:王室以外からの統治者(下剋上)
※同じ名前が幾つかあるけれど、みな別人
●統一時代
・916-942年・・・イドワル・ヴォエル(アベル家)
・942-950年・・・ハウェル・ザ・グッド(ディネ家)
●南北朝時代
①950-986年・・・イドワルの息子、孫たちの後継争い(アベル家)
②986-999年・・・マレディッズ(ディナ家)
③999-1005年・・・コナン(アベル家)
④1005-1018年・・・エダン(下剋上の略奪者)
⑤1018-1023年・・・ラウェリン(ディナ家)
⑥1023-1039年・・・イアゴ(アベル家)
⑦1039-1075年・・・グリフィズ、ブレディン(ディナ家)
⑧1075₋1081年・・・トラハエアルン(下剋上の略奪者)
⑨1081-1137年・・・グリフィズ(アベル家)
アベルファラウ家とディネヴァウル家の、ほぼ交互にグウィネズ国の統治権が移ってるだろう。また、アベルファラウ家でもディネヴァウル家でも兄弟、叔父甥同士の後継争いが尽きなかったんだ。
その乱れをついてエダンやトラハエアルンなどのが、突然国を略奪して統治者になるなど、戦国・下剋上の時代だったんだ。
それぞれの家の内部の争いを見てごらんよ。
こりゃ、複雑に絡み合った争いですね。
アべルファラウ家の争い
イドワルの息子イアゴとイエワヴが争った。
さらにはイアゴの息子とイエワヴの息子同士の争いへと発展した。
コナンの時代で一時収まるも、王家以外のエダンが出現し下剋上が起きた。
ディネヴァウル家の争い
ハウェルの没後、ディネヴァウル家は息子のオウァインが継いだが、オウァインとエドウィン兄弟の子孫で、後継争いが起こった。
エドウィンの息子マレディッズが一度、勢力を広げてウェールズをほぼ統一した時期があったが、オウァインの孫エドウィンに乗っ取られるなど、争いが続いた。
その後、外部の血筋を引くマレディッズの娘婿ラウェリンが、デハイバースを後継するだけでなく、グウィネズをも統治するなど権力を示した。
その後は、ラウェリンの息子グリフィズや異父弟のブレディンと、勢いのある統治者が継承していった。
これだけ、争いが続くと、もうめちゃくちゃですね。だけど、これがストーリーとして繋がっていくと、戦国時代好きには面白い時代ですね。
ぐちゃぐちゃの時代だったけど、領土変遷やストーリーは面白いな。時折、有力な指導者が出現して、ウェールズの広範囲を統一した人物もいたんだよ。
南北朝時代にウェールズの大部分を統一した人物
南北朝時代の初め頃、アベルファラウ家の後継争いの隙をついて、ウェールズの勢いを広げた人物が出現した。
歴史上殆ど注目されていない、ディネヴァウル家のマレディズ・アブ・オウァインである。(Maredudd ab Owain)
なぜ、注目されていないのだろうか?
986年に、マレディズはグウィネズの統治者カドワロンを攻撃して領土を奪い、ポウィスまで手に入れた。
さらに、988年に父オウァインからデハイバースを後継し、マレディズの勢力範囲は、南部の橙色を除いた水色部分にまで拡大し、活躍を見せた。
マレディズの最大勢力範囲(水色部分、ウィキペディアより)
ウェールズの中世歴史を見ると、ウェールズをほぼ掌握できた人物は7名ほどである。
・ハウェル・ザ・グッド(第4章)
・グリフィズ・アプ・ラウェリン(第5章)
・オウァイン・グウィネズ(第5章)
・ラウェリン・ザ・グレード(第6章)
・ラウェリン・ザ・ラスト(第6章に登場)
・オウァイン・グリンドゥール(第7章)
ウェールズを掌握した人物は皆、偉大な人物として称号を与えられたけれど、マレディズだけ腰抜けなど良くは言われていない。
マレディズは権力者として頂点に登ってから、変わってしまった様なのである。理由はよく分かっていないが、外敵から攻撃を受けても武力を使わなくなってしまったのだ。そして結果的に、ウェールズを混乱、弱体化へと導いたのだ。
ヴァイキングに何度か攻められた時、マレディズは戦わず多くの人がヴァイキングに連れ去られてしまった。その度に、マレディズは多額の身代金を払い、人質を解放してもらったのだ。
更に、甥エドウィンに領土を攻められた時も防戦一方で、人質の身代金を支払うだけでなく、領土の一部もエドウィンに取られてしまう。こうして、マレディズは勢力は急激に縮小していったのである。
さらに、他の敵も追い討ちをかけて来た。かつてマレディズがアベルファラウ家から奪ったグウィネズも、奪回に燃えるアベルファラウ家のコナンが立ち上がり、領土を奪い返されてしまったのだ。
マレディズは999年に亡くなると、デハイバース自体もアイルランドからの侵略者ラインに奪われてしまうなど下剋上まで起きて、散々な状態に陥ってしまった。
このような理由で、頂点から急落下してしまったマレディズは不人気となり、歴史上注目されていないのかもしれない。
初めは良かったのに、ウェールズの人々にとっては、敵に立ち向かわず自国を守れなかった、頼りない意気地なしの評価なんですね。
中世の支配者としてはマレディズは不評だけど、むやみに戦って人の命を奪ったり損害を出すのを避けたかったのかもな。平和的に解決しようとしたのかも知れないが、戦乱のこの時代には、不向きだったのだろう。
南北朝時代に起きた下剋上
グウィネズの統治者は、ディネヴァウル家のマレディズから、アベルファラウ家のコナンに戻ったんだけど、次は下克上が起きたんだ。
農民上がりと言われたエダン(Aeddan ap Blegywryd)が、コナンが亡くなったのを狙って、1005年にグウィネズを奪ったんだ。
北のグウィネズも南のデハイバースも、下克上が起きて王家以外の人物に奪われてますよね。南北朝時代に、王家が共倒れじゃないですか。ウェールズ王家を救う人物が欲しいところですね。
下克上が起きたグウィネズは、略奪者のエダンにより国が荒廃し、人々の不満が大いに募っていた。エダンはウェールズの人々から嫌われており、誰かエダンを倒す者はいないか、と有能な人物の出現を待ち望んでいた。
この時、再び下克上を起こす可能性を秘めた人物が現れた。ラウェリン・アプ・セイサルと言う人物である。(Lywelyn ap seisyll)
父方の血筋がよく分からないが、ラウェリンはかつてウェールズの大部分を統治したマレディズの娘、アングハラドと結婚していた。
※再びディナヴァウル家の家系図を見てみよう。⑤がラウェリンである。
当時、能力のあるウェールズ王室に相応しい人物がいなかったようで、この危機を脱するには王室と何らかの血縁関係があればOKとなったようだ。ウェールズの人々はラウェリンがエダンを倒すことを期待し、協力したのであった。
1018年、ラウェリンは兵を挙げてエダンとの戦いを始めた。ウェールズの人々の協力もあり、ラウェリンはエダンとエダンの4人の息子たちを殺害し、戦いに勝利することができた。
こうして、北ウェールズで起きた下剋上は抑えられ、グウィネズは救われた。ラウェリンはグウィネズとポウィスの統治者となった。
さらに、ラウェリンは兵を進めた。1022年にラウェリンは、かつて妻の父マレディズが治めたデハイバースを取り戻そうと挙兵したのだ。
そして南ウェールズで下剋上を起こした侵略者ラインを、アベルグウィリの戦いで破り、デハイバースを奪回したのだ。
こうして、ラウェリンはディネヴァウル家も継ぐことになった。
ラウェリンは有能な人物だったようで、富と住民たちで満ちていた、と言われているんだ。
しかし、ラウェリンは翌年に亡くなってしまい、グウィネズは元のアベルファラウ家に戻り、デハイバースは新たな略奪者に奪われてしまうんだ。
また、下剋上ですか!
ラウェリンとラウェリン、ウェールズを制したのは
北のグウィネズは、本家のアベルファラウ家出身のイアゴが統治するようになったんだ。
しかし、南のデハイバースはリデルヒ・アプ・イエスタン(Rhydderch ap Iestyn)という、南東の隣国モルガンウィグ(Morgannwg)の統治者が侵略してきて、領土を奪われてしまったんだ。
南東にも強い国があったのですか?
南東は小さな国々に分かれていたんだけど、統合されてモルガンウィグというになったんだ。統合したリデルヒ王は勢力を拡大しようと、今度はデハイバースに攻め入り占領したんだよ。
※モルガンウィグは地図中南部の海に面した国
その後、一旦は本来のディネヴァウル家のハウェル・アプ・エドウィンがデハイバースを取り戻したものの、再びモルガンウィグが攻め入ってくるかも知れない不穏さは残っていた。
この状況の中、ある男が立ち上がった。彼の名は、グリフィズ・アプ・ラウェリン。グリフィズは前にウェールズを救ったラウェリンの息子で、武力を駆使して戦いに明け暮れていた。
・1039年にアベルファラウ家で統治者のイアゴが内乱で暗殺された隙を突いて、グウィネズを奪った。グウィネズの支配下にあったポウィスも治めた。
・1043年にデハイバースのハウェルを攻めて追い出して、デハイバースを奪い取った。
しかし、妻まで奪われたハウェルはデンマークのヴァイキングの助けを借り船団で反撃に出た。
・1044年に、ラウェリンはハウェルを撃破して殺害し、デハイバースの地位を固めたかに見えた。ところが、モルガンウィグのリデルヒの息子グリフィズが攻めてきて、再びデハイバースを外部に奪われてしまった。
グリフィズとしては、せっかく奪ったのに横取りされて、残念!
おや、どちらもグリフィズ。グリフィズ同士の争いですね。
分かりやすく言うと、ディネヴァウル家のグリフィズ・ラウェリンと、モルガンウィグのグリフィズ・リデルヒだな。
ところが1047年、グリフィズ・ラウェリンはグリフィズ・リデルヒに攻められ敗北し、デハイバースから追いだされてしまった。次の年、グリフィズ・ラウェリンは、デハイバースを奪回しようと何度も反撃を試みるが、失敗に終わってしまった。
しかし、グリフィズ・ラウェリンはあきらめなかった。ウェールズ国内の協力ではなく、グリフィズは国外に目を向けた。
1055年にイングランドのマーシア伯エルファガーの協力を得て、グリフィズ・リデルヒに攻撃を加え、ついにデハイバースを取り戻したのだ。
勢いに乗ったグリフィズ・ラウェリンは軍を東方に進め、宿敵グリフィズ・リデルヒの地、南部のモーガンウィグなどを奪い去った。こうして、グリフィズ・ラウェリンは1058年にウェールズ全土を手中に収めたのであった。
グリフィズ、ついにウェールズ統一を成し遂げましたね
そうなんだ。グリフィズ・アプ・ラウェリンは、長いウェールズ中世の歴史において、ウェールズ全域を支配した唯一の人物なんだよ。
グリフィズ・アプ・ラウェリンのウェールズ統一1058年
アングロ・サクソンのイングランド終焉
グリフィズはイングランドのマーシア伯エルファガーと同盟を結んだおかげで、ウェールズを統一できたんだけど、ウェールズを統一できたのはごく短かったんだ。
イングランドのハロルド(後のイングランド王ハロルド二世)はグリフィズの勢力増大を嫌ったんだ。
そして、1060年にそのマーシア伯エルファガーが亡くなると、ハロルドは弟トスティグと共にイングランド軍を率いてウェールズに攻め込み、グリフィズを殺害したんだ。
ひゃー、なんて事を。
その後、グウィネズはラウェリンの異父弟ブレダン(Bleddyn ap Cynfyn)が後継したんだ。
ブレダンは、
「すべての王で最も慈悲深く最も愛された王であった。彼は親類に礼儀正しくて貧しい者に寛大で、巡礼者と孤児と未亡人など弱い者にとっての弁護者であった。誰も傷つけず侮辱されたものを守った。すべての人に手を差し伸べ、戦争を嫌い平和を愛した」と記述されるほどの人物であった。
ブレダンはハロルドに忠誠を誓って、イングランドとの関係を保ちウェールズの平和をキープすることは出来たのだよ。
しかし、時代はすぐに変化してしまうものだ。その後、イングランドにとっても、ウェールズにとっても衝撃的な事件が起きるんだ。そして、ウェールズの南北朝+戦国+下剋上の時代も混とんとしてくるのだよ。
1066年にイングランドの歴史は大きく変わった。フランスのノルマン人、ノルマンディー公ギョーム2世が、イングランドに攻め込んで来たのだ。
イングランド王ハロルド2世はギョーム2世と戦うものの戦死し、イングランドはノルマン人の手に落ちてしまった(ヘイスティングスで戦い)。
こうして、ギョーム2世はウィリアム1世となり、イングランドを征服したのである。長きにわたってアングロ・サクソン人が統治していたイングランドが終焉し(一時期、ヴァイキングが統治した時期もあった)、それ以降はノルマン人の統治になったのである(ノルマンコンクエストと呼ばれている)。
イギリスの歴史を変えたノルマンコンクエスト(ノルマン征服)の再現が行われた
ウェールズ版の天下分け目の戦い
このノルマンコンクエストによって、ウェールズの運命も大きく変化した。
ノルマン支配に対しするアングロ・サクソン人の抵抗は各地で起こり、ウェールズもイングランドと同盟を結んでノルマン支配と戦った。
さらに直接ウェールズに侵略してくるノルマン人達も現れてきた。こうして、ウェールズでは新たにノルマン人との戦いも始まったのである。
ところが・・・
思わぬところでブレダン(Bleddyn ap Cynfyn)は同じディネヴァウル家のリース(Rhys ab Owain)に攻められ、1078年にGoodwickの戦いで戦死してしまったのである。
※
ブレダン:ディネヴァウル家出身で、北のグウィネズを統治
リース:ディネヴァウル家出身で、南のデハイバースを統治していた
ブレダンが戦死すると、ウェールズで再び下剋上が起きてしまう。家系がはっきりしないトラハエアルン・アプ・カラドグ(Trahaearn ap Cradog)という人物が現れ、ブレダンを倒したリースを撃破したのだ(続く別の戦いでリースは戦死してしまった)。
この期にトラハエアルンはグウィネズを占領し、グウィネズの統治者となったんだ。
目まぐるしく統治者が変わってしまって・・・また下剋上を抑えようとする動きが起きるんでしょうね。
ここで、本来グウィネズを統治していたアベルファラウ家が動いたのさ。アベルファラウ家の直系でグリフィズ・アプ・コナン(Gruffydd ap Cynan)という人物が、グウィネズを取り戻そうと立ち上がったんだ。
ここから、グリフィズとトラハエアルンとの執念深い戦いが始まったんだよ。
※⑧のトラハエアルンと⑨のグリフィズの争い
◎シーン1:アイルランドに逃げていたグリフィズは、グウィネズを取り戻すことを計画。アイルランド軍の助けを借りて攻め入り、トラハエアルンに勝利した。
◎シーン2:ところが、トラハエアルンはヴァイキングと手を組み、反撃をしてきた。グリフィズは敗れ、再びアイルランドに逃避した。
◎シーン3:当時デハイバースはリース・アプ・テウドゥール(Rhys ap Tewdwr)という人物が統治していた。しかし、リースは南国グウェントのカラドグ・アプ・グリフィズ(Caradog ap Gruffydd)に攻撃され、デハイバースから脱出していた。
アイルランドに逃避したグリフィズは、同じ境遇にあるリースと手を結び協力することになった。一方、国を奪ったトラハエアルンも、同じ境遇にあるカラドグと手を結んだ。
こうして、ウェールズの勢力は2分割され、ついに両勢力はぶつかり合ったんだ。
まるでウェールズ版の天下分け目の戦いですね。
◎シーン4:1081年、ウェールズを二分する二つの同盟国はマナッズ・カルンの戦いで激突した(Battle of Mynydd Carn)。グリフィズ率いる同盟軍は、トラハエアルン軍を夜討ち急襲して勝利し、トラハエアルンとカラドグはいずれも戦死した。
この戦いで勝利したグリフィズ・アプ・コナンはグウィネズを、リース・アプ・テウドウルはデハイバースを奪回できたのである。
こうして、グウィネズはアベルファラウ家にもどり、この先もアベルファラウ家が継続して統治を行い、南北朝に分かれた時代も終焉した。
これで、ウェールズもようやく安泰になりましたね。
新たな脅威を忘れちゃダメだよ。本当のウェールズの苦しい戦いは、これから始まるといっても過言ではないんだ。イングランドを乗っ取ったノルマン人が、ウェールズも支配しようと本格的な侵略を始めたんだ。
ノルマン人のウェールズ攻撃が始まる
脱獄するグリフィズ(ウィキペディアより)
ようやくグウィネズを奪回できた矢先のことだった。グリフィズに危機的な状況が襲いかかってきた。ウェールズとイングランドの国境付近チェスターに住むノルマン人、
グリフィズは捕らえられ、
グリフィズは12年~16年投獄されたと言われ、1093年または1097年にようやくウェールズ軍の助けを借りて脱獄した。グリフィズは軍を立て直すために、再びアイルランドへ脱出したのであった。
グウィネズだけでなくウェールズ各地はノルマン軍に占領されはじめていた。ノルマン軍の略奪などの横暴さが目に余り、ウェールズの人々も黙ってはいなかった。
ウェールズ各地でノルマン軍に対して反乱が起き、ウェールズ軍だけでなく農民たちも参加した、ウェールズ一体となった反乱であった。
グリフィズは波乱万丈の生涯ですが、ピンチになったウェールズを建て直した英雄なのですね。
※グリフィズ・アプ・コナンに関する記事
つづく
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