ハウェル良王(Hywel the Good)のウェールズ法 ヨーロッパで最も進化した法律はどんな内容なのか

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時代は9世紀のウェールズ。
ロドリ大王の時代にウェールズは初めて統一されましたが、子や孫に後継していく中で、領土争いが続いていたのでした。

ウェールズを安泰にするためにも、乱世を終了させて強い国づくりに取り掛かっていかなければなりませんでした。

その中で、ウェールズ法は作られていきました。

👉この時代の背景

 <改訂版>第4章 ウェールズに大王が登場し天下を統一した時代 

 

 

当時のウェールズの情勢 

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中世のウェールズは主に4つの国に分かれており、今回お話をする10世紀では、
その中心となるウェールズ北部のグウィネズを治めるイドワル・ヴォエル(Idwal Foel)と、西南部のデハイバースを治めるハウェル・ザ・グッド(Hywel the Good)の対立が続いた乱世の時代でした。

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(当時の勢力図。右の緑色はイングランド)

 

 

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当時のイギリスで最も最強な国はイングランドで、927年にイングランド王国を建国したアゼルスタンが王に就いていたんだ。そのアゼルスタンとイドワルは同盟を結び、ウェールズ内で力を誇っていました。

アゼルスタンはウェールズの他の国にも忠誠を誓わせようと、イドワルの敵であるㇵウェルとも同盟を結んだのです。

    

 

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イドワルは、アゼルスタンがㇵウェルと懇意にするのを妬み、さらにハウェルの勢力が強くなるのを恐れるようになりました。

アゼルスタンが亡くなった後、エドムンドが後継し王となり、ハウェルは引き続きエドムンドと同盟を結んだけれど、イドワルはエドムンドと同盟は結びませんでした。

 

 

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そしてこのタイミングとばかりにイドワルはイングランドに攻め込み、エドムンドを倒しハウェルの勢いも止めようとしました。

イドワルの行動は無謀だったようで戦死し、その隙をついてハウェルがイドワルの領土グウィネズに攻め入り、再びウェールズをほぼ支配しました。

 

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軍配はハウェルに上がったわけですね。

 

👉この時代の背景

 <改訂版>第4章 ウェールズに大王が登場し天下を統一した時代 

 

ウェールズ法を作った理由

 

 

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再びウェールズを戦乱に陥らないようにする手を打たなければなりませんね。

 

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そうなんですよ。ウェールズで争いが起こらないように国を統治する仕組みを強化する必要があり、そのために法を作ることが必要不可欠だ、とハウェルは考えました。

ウェールズ内の内乱を防ぐだけでなく、イングランドなど強い外国からも身を守る必要がありましたからね。

 

 

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ところが、ウェールズにはきちんとした法律はなかったし、法律の知識をもった人物もいなかった。そこで、ㇵウェル自ら法律の猛勉強をしました。

ウェールズの王として初めてローマ巡礼をし、そこで最新の法律を学び、更にヨーロッパ、イスラム、ギリシャ、アラブ、ラテン諸国の法律も学びました。

そして、それぞれの法律の良いところを結びつけて独自の法律を作りました。

 

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すごいですね。ㇵウェルは努力家でアイディアマンなんですね。ウェールズ法はどんな内容なのですか?

 

ハウェルの作ったウェールズ法の内容

 

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ハウェル・ザ・グッド王

 

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ㇵウェルが作った法律の内容は、犯罪、財産、相続の内容から女性の自由と権利まで決められている現代的な法律であったのです。ちょっと紹介しておこう。

 

法廷に関する法律

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24人の裁判所で働く役人の役割について決められている。

王の従者の長、執事、鷹匠、王宮の詩人なども含まれており、使用する特別な椅子、役割、報酬、宮廷での地位が決められていた。

例えば、宮廷の馬の手入れをする人は、王の宮廷で寝たり食べたりを許され、主人のベッドを作り飲み物を注ぐ。報酬として、王の寝巻のお下がりも含まれる。

 

(解説)王を頂点とし、ウェールズの血を引く貴族、農民(彼らは自由民)、外国人から底辺の奴隷に至るまで、全ての人々は、社会の中で適切な地位を与えられた。

この階級社会の中を動くことは困難であった。農民が学者になることも、鍛冶屋になることも、詩人になることも、領主の許可が無ければ地位を変えることはできなかった。

 

領土の相続に関する法律

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領主が死去すると、領土は彼のすべての息子たちに均等に分配される。

最も若い息子が領土を分割し、最も年長の息子から選んでいく。たとえ非嫡子(母親が側室)であっても、同じように財産を受け継ぐことが出来る。

 

(解説)これは、とても公平な法律であるが、世代世代を経て続いていくと、強い国家を形成する妨げになる可能性があった。ハウェルの努力にもかかわらず、彼の死後、統一されたウェールズの国は、ハウェルの息子や、イドワルの息子たちにバラバラに分断された。

 

犯罪や罰則に関する法律

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殺人に対しても死刑にはならなかった。その代わり、殺人犯の家族は7世代にわたって、被害者家族に補償金を支払わなければならなかった。

その金額は、どんな社会的な地位の人物を殺人したかによって決められた。しかし、他人の財産を盗んで捕まった泥棒は、首吊りとなった。

法律は、すべての種類の物に関して非常に細かく正確に、価格を記した。たとえば、固いカシの木は120ペンス、きつねの毛皮は8ペンス、生まれたばかりの猫は1ペンスで目が開くと2ペンス、ネズミを捕まえるようになると4ペンスとなった。

食料を盗んで捕まった者で、飢えた家族を養うために3日間物乞いをして何も得られなかったことを証明できれば、寛容な処置がとられた。

 

女性に関する法律

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女性は弱く体格的にも劣っており、領主に守られる必要があると考えられた。

女性の殺人や侮辱に対する罪は、その女性の保護者の社会的な地位によって決められた。ウェールズ人の女性たちは特に結婚に関して、他のヨーロッパ諸国より自由でいろいろな権利を持った。

結婚は法的な契約であり、宗教上の儀式ではない。夫が深刻な病気になったとき、とても息が臭い場合、性的な交渉に欠陥が生じたとき、女性は夫と離婚することが出来た。7年以上結婚生活を続けていれば、夫の財産の半分を得る権利が与えられた。

 

 

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なるほど。ㇵウェルは先見の目があったかも知れませんね。 

 

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ハウェルの作ったウェールズ法は「ㇵウェル・ザ・グッドの法」とも呼ばれ、その後ヘンリー8世に書き換えられるまで約600年にも及び効力を発揮したという、当時では最新の法律で、法律の基礎になりました。

そのㇵウェルも当初は後継争いで親族と争い、その経験も生かされてたのではと思います。

 

www.rekishiwales.com
www.rekishiwales.com

 

※英語とウェールズ語ですが分かりやすく纏められた本です。

 

最後まで読んでくださり有難うございました。

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