こんにちは、たなかあきらです。
ウィリアム・シェイクスピアの作品の中で、4大悲劇の一つとなっているのが、「リア王」。
リア王は伝説上のブリタニア王で、12世紀にジェフリー・オブ・モンマスが書いたとされる「ブリタニア列王史」の中に登場しています。
その中で、リア王は王室の血筋で、紀元前8世紀頃(ローマ帝国が建国された頃)に、 ブリタニアを治めていたとされています。
実際のリア王は、シェイクスピアの「リア王」と同じなのでしょうか?
同じ点、違う点を違いを比べてみました。
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シェイクスピアの戯曲「リア王」のあらすじ
ブリテン(ブリタニア::古代のイギリス)の統治者であるリア王は、高齢となり引退することを決意しました。そして国は3つに分けて、3人の娘に譲ろうと考えていました。リア王は娘たちの自分への愛が嘘でないか計ろうとしました。
長女のゴネリルと次女リーガンは、わがままで傲慢な父リア王の機嫌を取り、言葉巧みに喜ばせますが、末娘のコーディリアは、素直であるが姉たちのようにうまく表現できませんでした。
リア王は最も手塩に育てたのに愛がない!と、立腹してしまいます。そして、リア王はコーディリアを勘当してフランス王へ嫁がせ、国から追放してしまいました。
こうしてリア王は2人の娘ゴネリルとリーガンを頼るものの、次第に老害と疎まれるようになり、裏切られてしまいます。リア王は荒野をさまよい、娘たちに対する怒りと末娘への仕打ちの後悔から、狂気に取りつかれていくのでした。
リア王の家臣グロスター伯に、悪知恵が働くエドモンドという息子がいました。エドモンドは、ゴネリルとリーガンと不倫関係になり、父グロスター伯と兄エドガーを陥れて謀反の罪を擦りつけます。
そして、エドモンドはゴネリルの夫が亡くなると、ブリテン軍の指揮官を奪い取ってしまいました。
一方、フランスにいる末娘コーディリアはリア王の苦境を知り、リア王を助けるためにフランス軍を引き連れドーバーに上陸、父との再会を果たします。そして、エドモンド率いるブリテン軍との戦いとなります。
コーディリア率いるフランス軍は敗れ、リア王とコーディリアは捕虜となってしまいます。
リア王は助け出され、謀反の張本人エドムンドはエドガーに討たれましたが、コーディリアは獄中でエドモンドに既に殺されており、娘の遺体を抱いたリア王は悲しみに絶叫し、絶命したのでした。
実際のリア王について (King Leir)
実際のリア王はどんな環境にあったのでしょうか、そしてシェイクスピアの戯曲「リア王」と同じなのでしょうか?それとも違うのでしょうか?
歴史上のリア王の血筋
ローマの執政官ブルータス・オブ・トロイ(Brutus of Troy)はトロイア戦争の後、当時アルビオンと呼ばれていたブリタニアに出航上陸し、アルビオンに住んでいた巨人たちをやっつけて、初代の王になりました。
ブルータスは、国を3つに分け、メインの部分をブリテン(Britain)、現在のスコットランド付近をアルバニー(Albany)、ウェールズ付近をカンブリア(Cambria)として3人の息子たちに分け与えました。
ブリテンを継いだ長男ロクリヌス(Locrinus)の8代先の子孫が、リア王なのです。
リア王は紀元前8世紀頃に活躍したとされ(紀元前10世紀の説もある)、父からブリテン王を後継し、約60年におよびブリテンを統治したと言われています。
現在のイングランドにあるレスター(Leisester、当時はCear Leirと呼ばれた)を作ったと言われています。
歴史上のリア王と3人の娘たち(シェイクスピア版と同じ)
リア王はブルータス・オブ・トロイの父系の血筋を伝えた最後の人物で、男子は生まれませんでした。
リア王には、ゴネリル、リーガン、そしてコーデリアの3人の娘がいました。リア王は死期が近づいてきたと知ると、国を3つに分け娘たちに分け与えることにしました。
ゴネリルとリーガンは、それぞれアルバニー公爵、コーンウォール公爵と結婚し、リア王の部下たちのアドバイスで、父リア王を喜ばせようとお世辞を使いました。
これに対してコーデリアは、リア王の最もお気に入りの娘だったにもかかわらず、王のご機嫌を取ることをしなかったため、領土も統治権も与えられませんでした。
フランク族(フランス)のアパニプス王はコーデリアに求婚し、リア王は持参金を拒否したにも関わらず、2人は結婚しました。
こうして、リア王はゴネリルとリーガンに国の半分ずつを与え、自分が死んだあと後継させようと考えました。
しかし、ゴネリルの夫アルバニー公爵のマグラウラスが反乱を起こし、王国を乗っ取ってしまったのです。そして、リア王は60人の騎士のみを与えられ、2年後には半数に減らす扱いを受けました。
リア王はもう一人の娘リーガンの所に助けを求めましたが、リーガンにはわずか5人の騎士しか与えてもらえず、再びゴネリルに懇願したところ、リア王は騎士1人しか与えられず取り残されるのです。
なるほど。ここまでの話は、シェイクスピアの「リア王」と殆ど同じですね。
歴史上のリア王は復活!(シェイクスピアと異なる)
リア王は、2人の娘たちに恐れを感じフランスへ逃亡しました。
そして、カリティアの宮殿の外に来た時に、リア王は末娘のコーデリアに使者を送りました。コーデリアはリア王を風呂に入れて、王らしい服を着せ、大勢の家来たちを付けました。
こうしてリア王は公式に、アパニプス王によって受け入れられてフランスの摂政となり、フランク族の貴族たちもリア王のかつての栄光の復興を誓ったのです。
そしてリア王、コーデリア、そして夫のアパニプス王はブリテンに侵入し、ゴネリルとリーガンそして彼女たちの夫を打ち負かすことに成功しました。そして、リア王は再び王の座に復活したのでした。
歴史上のリア王の後継者は?(シェイクスピアと異なる)
リア王は3年間ブリテンを統治し、亡くなりました(3~10年統治したという説もある)。リア王の後は、コーデリアが後継しました(約5年ほど)
コーデリアは亡くなったリア王を、レスターの近くにあるソアー川の下方にある、ヤヌス神の神殿に葬りました。現在、イングランドの歴史遺産で「Jewry wall」と呼ばれている場所です。
最後に
実際のリア王の話は悲劇ではなくて、リア王とコーディリアが謀反者の姉夫婦たちを倒してリア王の権力が回復する、ハッピーエンドでした。
シェイクスピアの悲劇的な「リア王」は不評で、17世紀にネイハム・テイトによって、大幅に書き換えられ喜劇となり、19世紀前半まで上演されていました。
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最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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