こんばんは。ウェールズ歴史研究家のたなかあきらです。
今回も、出稼ぎ勇者シリーズ、行きます!
イギリスには海の向こうからやってきて
大いに稼いだ人物が多くいるんだよ。
逆にイギリスから海を越えて稼いだ人物もいるけどね。
どこから出稼ぎにきたんですか?
フランスやローマからの出稼ぎだよ。
やはり伝説の力は強いようだよ。
ローマ兵士が行ったどでかい出稼ぎ
この人物はメチャメチャ稼いだ。
ローマの勇敢な兵士、マグヌスだ。
マグヌスは、4世紀にスペイン生まれの貧しい兵士の生まれだった。
ローマ軍に入隊し、各国の戦場に赴き功績を上げていった。
368年にスコットランドでローマ軍の反乱が起きた。
マグヌスはこれを鎮圧しようとスコットランドに出陣し
見事に反乱軍を打ち破る大手柄を上げた。
そしてブリタニア(当時のイギリスの呼び名)の首長の娘と結婚した。
首長の後継者となり、その後ブリタニアの全体の統治者となったのである。
更に出稼ぎは続いた。
マグヌスはスペインやフランスに、逆に攻め戻り西ローマ帝国を略奪した。
一兵士が出稼ぎに出て、ブリタニア(イギリス)を得て
さらにローマ帝国の半分を手にしたのである。
出稼ぎで最も稼いだ人物の一人である。
この話は伝説となり、アーサー王物語にも影響しているようである。
アーサー王の叔父の出稼ぎで出来た、巨大な伝説?
アーサー王の叔父と呼ばれる人物が、5世紀の中旬にいた。
彼の名は、アンブロシウス・アウレリアヌス。
アンブロシウスはフランスのブルターニュ地方に住んでいた。
成長したアンブロシウスは、海を越えてブリタニアに攻め込もう!
そう計画を立てていた。
略奪ではない。出稼ぎというより、仇討ちである。
アンブロシウスの兄はブリタニア王であったが、
家臣に討たれその座を奪われた。
兄の敵を討つために、フランスからブリタニアへ渡ったのだ。
宿敵ヴォルティゲルンと幾度となく戦い、
ついに降参させた。そして、ブリタニア王の座も奪い返したのである。
アンブロシウスは、仇討ちも出稼ぎも成功した。
そして、兄を弔うために石碑を立てた。
それが、ストーンヘンジという伝説もある。
イングランドの征服という出稼ぎで、もたらせなかった物?
1066年。
イングランドの歴史にこれほど衝撃を与えた事件はなかったかも知れない。
フランスを出港したノルマンディー公ギョーム二世は
イングランド南部に着岸し、迎え撃つイングランド王ハロルド二世と戦った。
両軍激しく戦ったが、ハロルド二世は矢で打ち抜かれ絶命し
ギョーム二世がイングランドを乗っ取った。
世にいう、「ノルマンコンクエスト」である。
(フランスに住むノルマン人のイングランド征服)
これにより、ギョーム二世はウィリアム1世としてイングランド王となった。
イングランドの公用語もその後300年ほどフランス語となり、多くのフランス語が英語に取り入れられた。
しかし、なぜかフランス料理はイングランド料理に取り入れられず、
今でも人々はフィッシュ・アンド・チップスを多く食べている。
不思議なものである。
追伸:
ちなみに、ブルターニュ地方にある世界遺産で有名なモンサンミッシェル。
モンサンミッシェルは、イングランドを征服したウィリアム1世の曽祖父リシャール1世によって建てられたのである。
赤バラ組の最終兵器
それはイングランドでバラ戦争が起きていた15世紀のことであった
イングランド王室がランカスター家(赤バラ)とヨーク家(白バラ)に分かれて争い合った。
時世は白薔薇が制していた。
三代にわたって白バラ組がイングランド王となり
赤バラ組は風前の灯火であった。
この時、ある人物にスポットが当たった。
フランス在住のヘンリー・テューダーという人物である。
テューダーというウェールズ人の家系で、かつ赤バラ組の血を引く人物である
ヘンリーは、悪王で名高いリチャード三世を攻めて、イングランド王を奪い取る決意をしたのだ。
反リチャード派、ウェールズ軍の支援もあって、ヘンリーはリチャード三世を倒し、ヘンリー7世としてイングランド王となった。
出稼ぎ成功である。そして新たなイングランド王の伝説が始まった。
ヘンリー7世の孫が、エリザベス1世である。
最後に
ヘンリー7世がなぜ勝てたのか?
自分がアーサー王の再来だ!とふれ込み、人々の協力を得ることが出来たから、という説もある。
伝説の力はすごい。
最後まで読んでくださり有難うございました。
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