絵はウィキペディアより
こんにちは!たなかあきらです。
イギリスのウェールズの歴史についてシリーズでご紹介しています。中世のウェールズでも、王室が南と北に分裂して後継や統治を争い合った、戦乱の時代がありました
今回第6話は、大王が威力を発揮した時代は終わり、王家が分裂して争った、ウェールズ版の南北朝時代(950年~1181年)についてご紹介いたします。目まぐるしく、主導権が移動するのです
※時代の区切りや呼び方は、たなかあきらが独自に表現しているものです
ウェールズ版の南北朝時代の幕開け
南北朝時代の幕開け
統一時代の最後に、ハウェル・ザ・グッド王がウェールズをほぼ統一して、平和な世を取り戻したのに、また戦乱の世になってしまったんですね
残念ながらそうなんだよ。ウェールズ王室の正当性を主張する北部のグウィネズ(Gwynedd):アベルファラウ家と、優れた統治者を輩出した南部のデハイバース(Deheubarth):ディネヴァウル家に、分裂するんだ
ディナヴァウル家(Dinefwr)はウェールズをほぼ統一したハウェル・ザ・グッド王の家系。アベルファラウ家(Aberffraw)はハウェルと争い合ったイドワル・ヴォエルの家系で、それぞれの子孫が主導権を狙って争うんだよ
※ウェールズの家系図
※アベルファラウ家の拠点、北ウェールズにアベルファラウ(Aberffarw)と、ディナヴァウル家の拠点、南ウェールズにあるディネヴァウル城(Dinefawr)
下剋上も同時に起こる
南北朝の争いが起こるだけなく、同じ家系の中での後継争いも頻繁に起こっていたんだ。さらに家系内の内乱と南北朝の戦いのスキをついて、両方の家系以外の人物が出現してウェールズ政権を奪ったことも、しばしばあるんだ
なんと、南北朝+お家争い+下剋上の三つ巴ですか。複雑ですが、おもしろそうですね
南北朝時代の概要
どんな、ぐちゃぐちゃだったか!を説明しよう。リーダー的存在であったグウィネズ国の統治者と、その家系を示すよ
●統一時代
・916-942年・・・イドワル・ヴォエル(アベル家)
・942-950年・・・ハウェル・ザ・グッド(ディネ家)
●南北朝時代
①950-986年・・・イドワルの息子、孫たちの後継争い(アベル家)
②986-999年・・・マレディッズ(ディナ家)
③999-1005年・・・コナン(アベル家)
④1005-1018年・・・エダン(下剋上の略奪者)
⑤1018-1023年・・・ラウェリン(ディナ家)
⑥1023-1039年・・・イアゴ(アベル家)
⑦1039-1075年・・・グリフィズ、ブレディン(ディナ家)
⑧1075₋1081年・・・トラハエアルン(下剋上の略奪者)
⑨1081-1137年・・・グリフィズ(アベル家)
と続くんだよ。(同じ名前が幾つかあるけれど、みな別人です)
アベルファラウ家とディネヴァウル家の、ほぼ交互にグウィネズ国の統治権が移ってるだろう。アベルファラウ家でもディネヴァウル家でも兄弟、叔父甥同士の後継争いが尽きなかったんだ
その乱れをついてエダンやトラハエアルンなどのが突然国を略奪して統治者になるなど、戦国・下剋上の時代だったんだ。それぞれの家の内部の争いを見てごらんよ
こりゃ、複雑に絡み合った争いですね
アべルファラウ家の争い
イドワルの息子イアゴとイエワヴの争い。さらにはイアゴの息子とイエウヴの息子同士の争いへと発展。
コナンの代で収まるも、王家以外のエダンが出現し下剋上が起きた
ディネヴァウル家の争い
ハウェルの没後、ディネヴァウル家はデハイバースを中心に統治したが、息子のオウァインとエドウィンの子孫で、後継争いが起こった
マレディズが一度、勢力を広げる時期があったが、エドウィンに乗っ取られるなど、争いが続いた
その中で、外部の血縁であるが、マレディッズの娘婿ラウェリンがデハイバースだけでなく、グウィネズをも統治した。
さらにグリフィズ、ブレディンと勢いのある統治者が継承していった
これだけ、争いが続くと、もうめちゃくちゃですね。だけど、これがストーリーとして繋がっていくと、戦国時代好きには興味ある時代ですね
常に、ぐちゃぐちゃの時代だったけど、時折、有力な指導者が出現して、何度かウェールズの広範囲を統一した人物もいたんだよ
南北朝時代にウェールズの大部分を統一した人物
まずは、南北朝時代の初め頃、アベルファラウ家の後継争いの隙をついて、ウェールズの勢いを広げた人物がいたんだ。殆ど注目されてないけど、ディネヴァウル家のマレディズ(Maredudd ab Owain)だ
マレディズはどんな事をやった権力者ですか
986年に、マレディズはグウィネズの統治者カドワロンを攻撃して領土を奪い、ポウィスまで手に入れたんだ
988年に父オウァインからデハイバースを後継したマレディズは、支配を強め南部の橙色を除いた水色部分を支配下におさめたんだ
マレディズの最大勢力範囲(水色部分、ウィキペディアより)
ウェールズの中世歴史を見ても、ウェールズ全域をほぼ掌握できた人物は殆どいないんだ
※中世で、このレベルまで支配した人物は、ハウェル・ザ・グッド、グリフィズ、オウァイン・グウィネズ、ラウェリン・ザ・グレード、ラウェリン・ザ・ラストなど、6名程度しかいない
へえ、マレディズは偉大な人物なんですね
ところがだ。ウェールズを掌握した数名の人物は皆、偉大な人物として称号を与えられていたんだけど、マレディズは目立たず、むしろ腰抜けなど良くは言われていないんだ
勢力広げたのに腰抜けと言われていたんですか。何かマレディズは、名を汚すような行為をしたのでしょうか
本来なら恐れられても良い存在なんだが、マレディズは変わってしまったようだ。頂点に登り、おごりが出たのだろうか。戦いが面倒になったのだろうか。はたまた、命が惜しくなったのだろうか。よくわからないが、まともに武力を使わなくなったんだ
武力を使わずに解決しようとするのは、良いと思いますけど
ヴァイキングに何度か攻められた時、マレディズは戦わず、多くの人がヴァイキングに連れ去られてしまったんだ。その度に、マレディズは多額の身代金を払い、人質を解放してもらったんだ
身代金を払って助けたのはよいですが、戦わず連れ去られたのは頼りなく、人々にとって不満でしょうね
更に、甥エドウィンに領土を攻められた時も防戦で、身代金と領土の一部もエドウィンに取られてしまい、マレディズは勢いがなくなって行くんだ
そこを狙い、敵は追い討ちをかけて来たんだ。かつてマレディズが奪ったグウィネズも、アベルファラウ家のコナンが立ち上がり、領土を奪い返されたんだ
マレディズは999年に亡くなり、その際、デハイバースもアイルランドからの侵略者ラインに奪われてしまうんだ
ウェールズの人々にとっては、敵に立ち向かわず自国を守れなかった、意気地なしの評価なんですね
中世の支配者としてはマレディズは不評だけど、むやみに戦って人の命を奪ったり損害を出すのを避けたかったのかもな
人質は取られるけど、お金を払って被害は最小限に、平和的に解決したのであれば良いけどな
南北朝時代に起きた下剋上
グウィネズの統治者は、ディネヴァウル家のマレディズから、アベルファラウ家のコナンに戻ったんだけど、次は下克上が起きたんだ
農民上がりと言われたエダン(Aeddan ap Blegywryd)が、コナンが亡くなったのを狙って、1005年にグウィネズを奪ったんだ
北のグウィネズも南のデハイバースも、下克上が起きて王家以外の人物に奪われてますよね。南北朝時代に、王家が共倒れじゃないですか
そうだなあ。ウェールズ王家を救う人物が欲しいところだな。この時、再び下克上を起こす可能性を秘めた人物が現れたんだ。ラウェリン・アプ・セイサルと言う、血筋がよく分からない男だ
ますます、ウェールズの王室は危なくなってしまうんですか
ところが、このラウェリンに白羽の矢が立ったんだよ。グウィネズは略奪者のエダンにより、国が荒廃し人々の不満が大いに募っていたんだ。エダンは非常に嫌われており、エダンを倒す事が考えられていたようだ。
しかし、ウェールズ王室には能力のある相応しい人物がいなかったようだ。そこで、グウィネズの人々は、ラウェリンのもとへ集ったようだ
ん?? 血筋が分からないのに、なぜウェールズの人が集まるの?ラウェリンとは、いったい何者ですか
ラウェリンは、かつてウェールズの大部分を統治したマレディズの娘、アングハラドと結婚していたんだ。この際、王室と何らかの深い関係がある人物ならOKのようだな
ウェールズの王室は臨機応変と言うか、ポリシーに欠けるというか。でも、柔軟な選択をしないといけない程、追い込まれていたのかもしれませんね。ラウェリンは有能だったんでしょうけど
1018年、ラウェリンは兵を挙げてエダンを攻撃したんだ。そして、エダンとエダンの4人の息子たちを殺害し、戦いに勝利したんだ。
こうして、グウィネズは救われ、ラウェリンはグウィネズとポウィスの統治者となったんだ
もう一方のデハイバースはどうなったのですか
ラウェリンの義父が治めた国を取り戻そうと、1022年にラウェリンは挙兵し、侵略者のラインを攻撃してアベルグウィリの戦いで破り、デハイバースを奪回したんだ
そうすると、ラウェリンは侵略者のエダンとラインを両方倒して、つまりさらに下克上を起こして、奪われていたウェールズを取り戻した訳ですね。ラウェリンは王室をついだんですか
ラウェリンは妻アングハラドの血筋を継ぐ形で、ディネヴァウル家になるんだ
じゃあこれで、平和になったんでしょうか
やはりラウェリンは有能な人物だったようで、富と住民たちで満ちていた、と言われているんだ
しかし、ラウェリンは翌年に亡くなってしまい、グウィネズは元のアベルファラウ家に戻り、デハイバースは新たな略奪者に奪われてしまうんだ
また、ですか!
ラウェリンとラウェリン、ウェールズを制したのは
北のグウィネズは、本家のアベルファラウ家出身のイアゴが統治するようになり、南のデハイバースは侵略者のリデルヒ・アプ・レスタンという、南東の隣国モルガンウィグの統治者に奪われたんだ
南東にも強い国があったのですか
南東は小さな国々に分かれていたんだけど、纏まってモルガンウィグとなり、さらにデハイバースを奪ったんだ。一旦は、本来のディネヴァウル家に戻りハウェル・アプ・エドウィンがおさめたんだよ
この状況の中、ある男が立ち上がったんだ。彼はグリフィズ・アプ・ラウェリン。グリフィズは前にウェールズを救った、ラウェリンの息子だよ。グリフィズは武力を駆使して戦いに明け暮れるんだよ
1039年にアベルファラウ家で統治者のイアゴが内乱で暗殺された隙を突いて、グウィネズを奪ったんだ
1043年にラウェリンは、更にデハイバースのハウェルを攻めて追い出して、デハイバースを奪い取ったんだ。妻まで奪われたハウェルも黙っちゃいない。デンマークのヴァイキングの助けを借り船団で攻め返してきたんだ。
1044年に、ラウェリンはハウェルを撃破して殺害し、デハイバースの地位を固めたかに見えたんだ
え、固めたかに見えた? またどんでん返しですか?
ところが、モルガンウィグのリデルヒの息子グリフィズが、攻めてきて、再びデハイバースを外部に奪われてしまうんだ
グリフィズとしてはせっかく、奪ったのに横取りされて、残念。おや、どちらもグリフィズ。グリフィズ同士の争いですね
ややこしいけど、ディネヴァウル家のグリフィズ・ラウェリンと、モルガンウィグのグリフィズ・リデルヒだな
1047年、グリフィズ・ラウェリンはグリフィズ・リデルヒに攻められ、デハイバースから追いだされて奪われたんだ。次の年、グリフィズ・ラウェリンは、奪回しようと、何度も反撃を試みるが、失敗に終わるんだ
しかし、グリフィズ・ラウェリンはあきらめず、1055年にイングランドのマーシア伯エルファガーの協力を得て、グリフィズ・リデルヒに攻撃を加え、デハイバースを取り戻したんだ
更に、グリフィズ・ラウェリンは勢いにのり、軍を東方に進め、南部のモーガンウィグなどを奪い去ったんだよ。こうして、グリフィズはウェールズ全土を手中に収めたんだ
グリフィズ、ついにウェールズ統一を成し遂げましたね
そうなんだ。グリフィズはウェールズ中世の歴史において全域を統治した唯一の人物だ。一時ではありましたがウェールズに平和をもたらしたんだよ
グリフィズ・アプ・ラウェリンのウェールズ統一1058年
アングロ・サクソンの襲撃と、イングランドの終焉
ところが、グリフィズとマーシア伯エルファガーとの同盟を、ハロルド(後のイングランド王ハロルド二世)が嫌っていたんだ。1160年にエルファガーが亡くなると、ハロルドは弟トスティグと共にイングランド軍を率いてウェールズに攻め込み、グリフィズを殺害したんだ
その後、グウィネズはラウェリンの異父弟ブレダン(Bleddyn ap Cynfyn)が後継し、ハロルドに忠誠を誓ってイングランドとの関係を保ったんだよ。ブレダンは、
「すべての王で最も慈悲深いく最も愛された王 … 彼は親類に礼儀正しくて貧しい者に寛大で、巡礼者と孤児と未亡人など弱い者にとっての弁護者でした。誰も傷つけず侮辱されたものを守りました。すべての人に手を差し伸べ、戦争を嫌い平和を愛しました」と記述されるほどの人物だったんだ
ブレダンは素晴らしい統治者みたいですね。ブレダンみたいな王ばかりがいいなあ~
その後、ウェールズにとってもイングランドにとっても衝撃的な事件が起き、更にウェールズの南北朝時代も混とんとしてくるんだ
1066年にイングランドは大きく変わったんだ。フランスのノルマン人、ノルマンディー公ギョーム2世が、イングランドに攻め込みヘイスティングスの戦いで、イングランド王ハロルド2世を倒して、ウィリアム1世として戴冠したんだ
これが、ノルマンコンクエストと言われている出来事ですね
アングロ・サクソン人が統治していたイングランドが奪われ、ノルマン人の統治が始まったんだ。アングロサクソンの抵抗は続き、ブレダンもイングランドとの同盟を結んでいたので、ノルマン人と戦ったんだ。
そうこうしているうちに、ブレダンは同じディネヴァウル家のリース(Rhys ab Owain)に攻められ、1078年にGoodwickの戦いで戦死してしまうんだ
ウェールズ版の天下分け目の戦い
また、またウェールズは混沌としてしまいましたね。北のグウィネズを治めていたディネヴァウル家のブレダンが、南のデハイバースを治めていたディネヴァウル家のリースに殺された、という状況ですね。
そういえば、北のグウィネズで本来の統治者であるアベルファラウ家の人々はどこへいったのですか
そうなんだ。ウェールズで最も実力を持っていたアベルファラウ家は低迷しており、グウィネズの統治者の多くは、ディネヴァウル家から出ていたんだ。もうしばらくは、その状況が続くんだよ。ブレダンが殺られると、ウェールズで再び下剋上が起きるんだ
トラハエアルン・アプ・カラドグという人物が立ち上がり、ブレダンを倒したリースを撃破し、続く戦いでリースは戦死するんだ。さらにトラハエアルンはグウィネズを占領して、グウィネズの統治者になるんだよ(※トラハエアルンは、ブレダンの従兄弟という説もある)
ここでアベルファラウ家が動いたんだ。アベルファラウ家の直系でグリフィズ・アプ・コナンという人物が、アベルファラウ家のグウィネズを取り戻そうと、立ち上がったんだ。ここから、グリフィズとトラハエアルンとの執念深いたたかいが始まったんだ
ライバル同士の戦いですね。見どころがありそうです
シーン1:アイルランドに逃げていたグリフィズはアイルランド軍の助けを借り、トラハエアルンとぶつかり、トラハエアルンに勝利したんだ
シーン2:ところが、トラハエアルンはヴァイキングと手を組み、反撃をしてくるんだ。グリフィズは敗れ、再びアイルランドに逃避するんだ
シーン3:当時デハイバースはリース・アプ・テウドウルという人物が統治していた。しかし、リースは南国グウェントのカラドグ・アプ・グリフィズに攻撃され、デハイバースから脱出していた。国を追い出されたグリフィズと同じ境遇にあるリースは手を結び、さらに国を奪ったトラハエアルンは同じ境遇にあるカラドグと手を結ぶんだ
シーン4:1081年、ウェールズを二分する二つの同盟国はマナッズ・カルンの戦いで激突するんだ(Battle of Mynydd Carn)。グリフィズ率いる軍は、トラハエアルン軍を夜討ち急襲して勝利し、トラハエアルンとカラドグは戦死したんだ
まるでウェールズ版の天下分け目の戦いですね
この戦いで勝利したグリフィズ・アプ・コナンはグウィネズを、リース・アプ・テウドウルはデハイバースを奪回したんだ。こうして、グウィネズはアベルファラウ家にもどり、この先もアベルファラウ家が継続して統治を行い、南北朝時代は事実上終焉したんだ
これで、ウェールズもようやく安泰になりましたね
しかし、新たな脅威がウェールズにも襲ってきたんだ。本当のウェールズの戦いはこれから始まるといっても過言ではないんだ。イングランドを乗っ取ったノルマン人だよ。イングランドだけじゃなく、ウェールズも支配しようと侵略を始めんたんだ
ノルマン人のウェールズ攻撃が始まる
脱獄するグリフィズ(ウィキペディアより)
グリフィズに危機的な状況が襲いかかってきたんだ。ウェールズとイングランドの国境付近チェスターに住むノルマン人、
グウィネズを奪回したと思ったら、同じ年にノルマン人に捕らえられてしまったのですか。なんとも悲劇的ですね。グリフィズは牢から出て、再びグウィネズを取り戻せたのですか
グリフィズは12年~16年投獄されたと言われ、1093年または1097年にようやくウェールズ軍の助けを借りて脱獄できたんだ。グリフィズは軍を立て直すために、再びアイルランドへ脱出したんだ
そんなに長く投獄されていたんですか! その間ウェールズはどうなっていたのですか
グウィネズだけでなくウェールズ各地はノルマン軍に占領されていたんだ。ノルマン軍の略奪などの横暴さが目に余り、ウェールズ各地でノルマン軍に対して反乱が起こったんだ。ウェールズ軍だけでなく、農民たちも一緒になったウェールズ一体となった反乱だったようだ
グリフィズは良かったと思いますが、ノルマン軍もっ黙ってはいないでしょ。またやり返して来なかったのですか
ノルマン軍は何度もウェールズを攻撃したんだよ。1121年には、イングランド王ヘンリー1世率いるノルマン大軍はウェールズに再び侵略したんだ。しかし、団結したウェールズ軍はノルマン軍を急襲して勝利を収めたんだよ
グリフィズは波乱万丈の生涯ですが、ピンチになったウェールズを建て直した英雄なのですね
※グリフィズ・アプ・コナンに関する記事2つ
最後まで読んでくださり有難うございました。
これ欲しい!
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