テューダー朝に影響するウェールズの王室

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こんにちは。たなかあきらです。

13世末にウェールズはイングランドに征服されました。その後、各地で独立の反乱は起きましたが、15世紀の初めに起きた英雄オウァイン・グリンドゥールの反乱も鎮められイングランドの支配力が強まりました。

ウェールズの王室も途絶えて終わってしまったかの様に思えますが、結果的にイングランドの王室(特にテューダー朝)の歴史に大きな影響を与えたのです。

その発端は、逆玉の輿に乗った、一人のウェールズ人でありました

 

連載の中世ウェールズの歴史番外編です

www.rekishiwales.com

 

逆玉の輿に乗ったウェールズ人 

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時代は、オウァイン・グリンドゥールの反乱が終わった15世紀。反乱の影響でウェールズに対するイングランドの圧力は強く、ウェールズ人というだけで逮捕されたり危険人物視されていたんだ。

 

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ウェールズ人にとっては住みにくい時代だったんですね

 

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その時代にオーウェン・テューダーと呼ばれるウェールズ人がいて、イングランド王室で使用人として働いていたんだ。

 

※オーウェン・テューダー(Owen Tudur)はイングランド名で、ウェールズ語では、オウァイン・アプ・マレディズ・アプ・テューダー(Owain ap Maredudd ap Tudur)

  

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オーウェンはイングランドでは使用人の暮らしだったんだけど、ウェールズ王室のラウェリン大王に仕えた執事の直系で、母方はウェールズ王室の血筋なんだ

 

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ウェールズの誇り高き家系ですね

 

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しかし、時代が時代だっただけに、オーウェンは、イングランド王ヘンリー5世の王妃キャサリンの衣装係として何とか職を得て、下っ端使用人の肩身の狭い生活をしていたんだ。しかし、ある時オーウェンの人生を大きく変える出来事が起きたんだ

 

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そこが知りたいですね。何が起きて、逆玉に乗り、それで、何が起きたんですか?

 

イングランド王妃との駆け落ち?

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イングランド王ヘンリー5世は早世し、キャサリン王妃は未亡人となっていたん。キャサリンはまだ若く名ある伯爵と恋に落ちる日々を送っていたんだよ

 

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そうですよね~元王妃のキャサリン未亡人をものにできたら、それこそ超のつく逆玉の輿ですよね

 

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ある伝説があるんだ。王室で開かれたある舞踏会のことだった。恐らくオーウェンはキャサリン王妃の前で踊っていたんだろう。キャサリン王妃は男たちが踊っているのを見ていたんだろうか。オーウェンはつまずくか何かして、キャサリン王妃の膝の上に落ちたんだ。

 

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それは一大事

 

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何とキャサリン王妃は、美男子のオーウェンに恋に落ちてしまったんだ。そして、二人は密会するようになったんだよ。この舞踏会のエピソードの他にも、プールで泳いでいるオーウェンの姿を見たキャサリン王妃が一目惚れした、という説もあるんだよ。

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えっ、使用人のオーウェンに恋ですか。未亡人となった王妃キャサリンの再婚相手には、国王に匹敵するほどの高い身分の人物が必要なんですよね

  

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そうなんだ。キャサリンと関係があったといわれる名のある伯爵でさえ、再婚できる相手としては身分が不足していたんだ

 

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イングランドに反乱を起こしたウェールズ王室の血を引くオーウェンとの再婚はもっての他じゃないですか。それで、どうしたんですか、その二人は?

  

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間違っても結婚はできない二人が選んだ道とは、駆け落ちをして法を破り、こっそり結婚することだったんだ

 

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王妃と使用人が駆け落ち!そりゃ、犯罪でしょ。王室の名誉にもかかわるので、やっきになって探すでしょうね

 

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駆け落ちの隠れた生活を続け、心労が重なったのだろうか、キャサリンは6年後に36歳の若さで世を去るんだ。そして、イングランド役人に見つかってしまったオーウェンは捕らえられ、法を破った罪で投獄されるんだよ。

 

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これは大変な逆玉の輿ですね。オーウェンはどうなっちゃうんでしょう

 

 

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オーウェンとキャサリン王妃の間には、二人の息子エドムンドとジャスパーが生まれたんだ。さらに、キャサリン王妃にはヘンリー5世との間に設けた息子がいたんだ。ヘンリー5世の跡を継いだ、イングランド王ヘンリー6世だよ

 

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ひょっ。オーウェンの息子は、イングランド王と異父兄弟!

 

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ヘンリー6世は、まだまだ遊びたい盛りの少年だったんだ。ヘンリー6世は、同じ年頃のオーウェンの息子エドムンドとジャスパーと会い、3人はとても仲良くなるんだ

 

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それは良かったよかったですね。それで、オーウェンはどうなったんですか

 

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3人が仲良くなったおかげで幸運にもオーウェンは解放されたんだ。ヘンリー6世に仕え、王宮庭園の管理人として年金をもらいながら自適の生活をすることが出来たんだよ

 

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オーウェンも良かったですね〜!

 

イングランド王室の薔薇戦争を終わらせたウェールズ

 

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ヘンリー6世(ウィキペディアより)

 

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そう言えば、ヘンリー6世は、有名な薔薇戦争を始めた人でしたよね

 

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オーウェンもヘンリー6世のランカスター家(赤薔薇)について、ヨーク家(白薔薇)と戦ったんだよ。1461年にモーティマークロスの戦いで敗れて、捕らえられ処刑されたんだ。しかし、この薔薇戦争もオーウェンの血筋が大きく関わってくるんだ

 

薔薇戦争の原因は気がふれたイングランド王 

 

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薔薇戦争ってどんな戦争だったのですか?

 

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イギリス(イングランド)の15世紀に起きた王室の後継・権力争いで、赤薔薇のランカスター家の血筋と白薔薇のヨーク家の血筋が戦ったんだ。

 

f:id:t-akr125:20161213223417p:plain何がきっかけで薔薇戦争が始まっちゃったんですか?

 

 

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当時のイングランド王は、赤薔薇のランカスター家のヘンリー6世で、フランスとの100年戦争に敗れてしまったんだ。

イングランドのフランス領土は失ってしまい、100年戦争はイングランドの敗北で終結したんだ。 ヘンリー6世は精神的に弱く、敗北のプレッシャーからか気が狂ってしまったんだ。

俺が正統なイングランド王なんだ、と白薔薇のヨーク家、ヨーク公リチャードがイングランドの王位を狙ったんだ。

これは大変と気が狂ったヘンリー6世の王妃マーガレットは、息子エドワードを擁立して立ち向かったんだ。これが薔薇戦争の始まりなんだよ。

 

※ヨーク家:ヘンリー3世の次男、ヨーク公エドムンドから始まった。ヨーク公リチャードはエドムンドの孫

※ランカスター家:ヘンリー3世の四男、ランカスター公ジョン・オブ・ゴーントから始まった。ジョンの息子がヘンリー4世となり、ヘンリー5世、ヘンリー6世と息子がイングランド王を後継していた。

   

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赤薔薇、白薔薇どちらが勝ったんですか?

 

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ヘンリー6世に対してヨーク公リチャードが反旗をひるがえしたのが1455年で、薔薇戦争が終結したのが1485年と約30年続いたんだ。

白薔薇ヨーク家リチャードの息子エドワードが、赤薔薇ランカスター軍を破り、エドワード4世となったんだ。白バラのヨークが赤バラのランカスターに勝って、その後はエドワード4世、エドワード5世と続いたんだ。

そして悪王と言われたリチャード3世がイングランド王になり、白バラのヨーク家の天下が3代続くんだよ。

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立ち上がるランカスター家の秘密兵器

 

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赤薔薇は反撃するのですか?

 

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リチャード3世は反対派を排除し過ぎ、不満を持った貴族たちがランカスター家を復活させようとしたんだ。

ランカスター家の秘密兵器と呼ばれた、ある男を擁立したんだ。その人物は、ヘンリー・テューダーと呼ばれる人物だったんだ。

  

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テューダーって、ヘンリー6世の母、キャサリン王妃(未亡人)と駆け落ちした、逆玉の輿のオーウェン・テューダーですか?

 

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その通り! ウェールズ王室の血をひくオーウェン・テューダーとキャサリン王妃の息子エドムンドは、ヘンリー・テューダーという名の男の子をもうけるんだ。

  

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と言うことは、ヘンリー・テューダーは、ウェールズ王室の血とイングランド王室の血を両方引くわけですか?

 

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そうなんだよ。イングランド王室の血は母系からだけど、イングランド王ヘンリー6世の異父兄弟で、ランカスター家の血を引く数少ない生き残りだったんだ。

 

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薔薇戦争の最後の戦い:イギリス版の天下分け目の戦い 

 

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ヘンリー・テューダーはウェールズの南部、ペンブローク出身だったけど、ヨーク家から命を狙われる危険性があったので、フランスで暮らしていたんだ。

ヘンリー・テューダーはフランスで挙兵しイングランドに乗り込み、リチャード3世と戦ったんだ。それが有名な、イギリス版の天下分け目の戦いである、ボースワース野の戦いなんだ。

 

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この戦いで、ヘンリー・テューダーがリチャード3世に勝利し、事実上これでば薔薇戦争も終結したんだ。

そして、ヘンリー・テューダーはヘンリー7世としてイングランド王になって、テューダー朝をスタートさせたってわけだ。

  

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なるほど。イングランド王室のテューダー朝は、ヘンリー・テューダーの祖父オーウェン・テューダーから来たんだ!

 

※テューダーの名前は、オーウェン・テューダーの祖父の祖父で、ウェールズ王室の血をひく14世紀の貴族、テューダー・アプ・ゴロンウィ(Tudur ap Goronwy)が始まり

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この天下分け目戦いは、薔薇戦争を単に終わらせるだけではなく、イングランドとウェールズ、さらにはスコットランドの歴史にまで、大きな影響を及ぼしたんだよ。

 

薔薇戦争の最後の戦いがイギリスの歴史を変えた3つのポイント

 

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この戦いの終結によって、イギリスの歴史に与えた大きな意味を、3点にまとめて簡単に説明しよう。

まず一つ目だ。

①さっきも言ったように、ヘンリー7世の父系はウェールズ王室につながっていて、とても由緒ある血筋なんだよ。

つまり、ウェールズ王室の血を引くヘンリー7世がイングランド王になるということは、ウェールズとイングランドも繋がりが強まる、ということなんだ。

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(テューダー朝のイングランド王)

 ウィキペディアより

テューダー朝 – Wikipedia

 

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次に二つ目だ。

②ランカスター家のヘンリー8世は、ヨーク家エドワード4世の娘、エリザベスと結婚したんだ。つまり、再び争いが起きないように、ランカスター家とヨーク家が手を結んだってことだ。これでランカスター家とヨーク家は統一され、イングランドは一つに纏まったんだよ。

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ランカスター家のヘンリー7世とヨーク家のエリザベス

 

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次に3つ目だ。

③ヘンリー7世の娘のひ孫は、ジェームズ6世としてスコットランド王になったんだ。その時代、イングランド王室の後継者が途絶えそうになったため、ジェームズ1世としてイングランド王にもなったんだ。

つまり、ウェールズ王室の血筋と、イングランド王室とスコットランドの王家が結合したってわけだ。

ジェームズ1世 (イングランド王) – Wikipedia

 

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すごい、イギリスの三国は血筋で繋がったのですね

 

 

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今回の内容をまとめると、ボーズワース野の戦いは、イングランドの統一だけでなく、将来イングランドとウェールズ、スコットランドと一緒になる血の繋がりを作るきっかけとなった重要な戦いと言えるんだよ。

 

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天下分け目の戦いというより、未来への「王室結合の戦い」と言えますね。

 

 

最後までお読みいただき、有難うございました。

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