シェイクスピアの4大悲劇の1つに「オセロー」があります。
ムーア人のオセローが、部下に陥れられ、妻を殺害してしまい、
「オセロー」にはどのような時代背景があるのでしょうか?
👉こちらもご参考に
>>シェイクスピアの悲劇「オセロー」のあらすじと原作との相違
・シェイクスピアの謎 別人説について語る
・シェイクスピアの「ハムレット」と原作「アムレート」のあらすじ
・シェイクスピアの「マクベス」と「実在のマクベス」との違い
・実在の「リア王」とシェイクスピアの「リア王」の共通点と相違点
>>シェイクスピアの発音はイギリスの標準的な発音とどう違うの?
「オセロー」の時代が分かる記述
シェイクスピアのオセローの原作となっているのが、
この原典には、時代が分かるような記述はありませんが、シェイクスピアの「オセロー」では時代が分かる記述があります。
物語の初めの方に、
ではキプロス島とトルコの戦いはいつあったのでしょうか?
それを調べることにより、「オセロー」
キプロス島とトルコの戦いについて
まず12世紀~16世紀のキプロス島の歴史について、
キプロスは東地中海における西欧最後の拠点として、
十字軍遠征やイスラム勢力攻撃の基地となった。聖地騎士団、 イタリア諸都市、西欧各国と組んだキプロス王国は、14世紀には たびたび小アジアやエジプトを襲っている(1344年のスミルナ 占領、1365年のアレクサンドリア十字軍など)。 一方キプロス王家は、
後継者争いやマムルーク朝などのイスラム国家との抗争のために疲 弊し、イタリア諸都市に深く依存するようになっていた。( ウィキペディアより)
オセローの時代の前のキプロス島の概要(イングランド支配~独立~ヴェネツィア支配)
キプロス島は、さまざまな国によって移り変わりながら支配されます。
東ローマ帝国→イングランド→エルサレム→自治→ヴェネツィア
・1191年:イングランド王のリチャード1世は東ローマ帝国の支配下であったキプ
・1194年:エルサレム王ギーが亡くなると、
・1205年:エメリーが亡くなると、
・1489年:当時の女王カタリーナが亡くなると、
オセローの時代の頃のキプロス島の概要(オスマン帝国との争い)
オセローの時代は16世紀ごろと考えられます。その頃になると、
15世紀には東ローマ帝国を滅ぼしてその首都であったコンスタン
ティノポリス(後のイスタンブール)を征服、 この都市を自らの首都とした。 17世紀の最大版図は中東からアフ
リカ・欧州に著しく拡大し、 東西はアゼルバイジャンからモロッコに至り、 南北はイエメンからウクライナ、 ハンガリーに至る広大な領域に及んだ(ウィキペディアより)
オスマン帝国が征服した地ではトルコ人による支配体制がしかれて
ヴェネツィアとオスマン帝国との戦いを挙げます。
・1522年 :ロドス島のロドス包囲戦でオスマン帝国に敗北
・1538年 :プレヴェザの海戦でオスマン帝国に敗北
・1571年 :オスマン帝国にキプロス島が陥落
・1573年 :ヴェネチアが敗北しオスマン帝国と講和(キプロス奪回はできず)
「オセロー」ではヴェネチアがトルコ(オスマン帝国)
👉シェイクスピアの記事一覧