こんにちは。イギリス、ウェールズ歴史研究家、たなかあきらです。
前回は、スコットランド王国が成立するまでの歴史について、概要を簡単にお話いたしました。今回は、その中で、グレートブリテン島の大半がローマ帝国に支配されていた、1~5世紀までについて簡単にお話いたします。
スコットランドの歴史〜ローマ帝国に支配された時代〜
現在のスコットランド南部は、ブリタニアの一部で、ローマ帝国に支配されていた時代がありました。(1世紀~5世紀ごろ)
ここで言う南部とは、ハドリアヌス城壁とアントニヌス城壁に囲まれた領域で、現在のエジンバラもこの中に位置します。
この領域は、一応ローマ影響下にあるブリタニアの一部でしたが、とても中途半端な領域でした。中途半端だけに、他の地域よりも様々な事件が起こったのです。
どう中途半端なのですか? 2つの城壁に閉じ込められた感じがしますけど。
※今回のお話は、地図中のスコットランドの南部で、アントニヌスの城壁(Antonine Wall)とハドリアヌスの城壁(Hadrian’s Wall)に囲まれた領域になります。
中途半端な領域
二つの城壁で囲まれた領域は、北にはピクト族の住むピクトランドがあり、南にはローマ軍に占領されたブリタニアがあり、そこに挟まれた領域なんだ。
一応ローマ帝国の勢力範囲の中にはありましたが、ローマの支配力はさほど強いものではなかったんだ。北にはピクト族などが攻め込んでくるので、2つの城壁で食い止めていたんだよ。
言い換えるとアントニヌス城壁までがローマ帝国の勢力を示し、ハドリアヌスの城壁で、これ以上は絶対に敵は入って来るな、と言うブリタニア本国なんだ。
なるほど〜。ローマ支配力は弱いって言いましたけど、どんな支配だったのですか。また、どんな人々が住んでいたのですか?
この2つの城壁で囲まれた領域は、ローマ帝国の直接統治にはならず、4~5つの国に分かれていて、ローマ帝国の支配を受けながらも、自治をする形で北からの敵の侵略を防いでいた、と言う状況だ。
・最北が、アルトクラッド。
・東側が、ゴトウディン。
・その他、ノヴァンタエ、セルゴヴァエなどの国があり、主にアルトクラッドや南部のブリタニアの影響下にあったんだ。
これらの国々に住んでいたのは、ブリタニアのブリトン族と、北からのピクト族が入り混じっていたと思うな。ローマから自治を任されていたのはブリトン族で、ローマ帝国が1世紀にブリタニアを征服した時に、ウェールズなど南部から落ち延びてきた人々と考えられるんだ。
南部からの人々の子孫が北部のスコットランドの一部を治めるとは、面白いですね。何か記録があるのですか?
南部で、ローマ帝国に対して最後まで抵抗していたのが、ブリトン族の一族、カラクタス王なんだ。カラクタス王は北へ逃れながらローマ帝国に激しく抵抗するが、紀元43年に降伏しローマに連れ去られるんだ。
その後、ブリタニアはローマ帝国の支配下になるんだよ。アルトクラッドやゴトウディンを自治した首長たちは、カラクタスの子孫なんだ。
参考:カラクタスに関する記事
ローマ皇帝をうならせたブリタニア王のスピーチ
頻繁にやってくるピクト人の攻撃
2つの城壁に囲まれた領域は、やはり戦いが多かったんでしょうか?
そうなんだ。来たからはピクト族やヴァイキング、西のアイルランドからはスコット族の攻撃に対して戦っていたんだ。この時代は、特に北からピクト族の攻撃が頻繁にあったんだ。
その状況を分かりやすく描いたのが、映画キング・アーサーだ。この映画のアーサー王は、アーサー王物語のアーサーではなく、3世紀頃にスコットランドに派遣されたローマ軍人、アルトリウスがモデルなんだよ。
映画では戦っている相手はサイソン族の設定だけど、サイソンの変わりにピクト族にすると、実際の状況にピッタリなるんだよ。
当時は2つの城壁や付近にある砦に、ブリタニア司令官や多くのローマ兵がローマから派遣されていたんだよな。
スコットランドでの大反乱
最も大きな反乱は367年頃に起きたグレート・コンスピラシーと呼ばれる大反乱だ。
この反乱は、ローマ帝国に不満を持つローマ軍人がピクト族やスコット族、アルトクラッドなどの首長を巻き込み、ローマ帝国に対して反乱を起こしたんだ。
何と! ローマ軍側と敵が手を組んで、ローマ帝国に刃向かったんですか!
反乱の規模は大きく、ローマ帝国は軍を送るものの敗れ、手を焼いたんだ。この大反逆を鎮圧しピンチを救ったのが、ローマ帝国軍のナンバーワンのテオドシウス・エルダーとナンバーツーのマグヌス・マキシムスだ。
マグヌス・マキシムスはその後、ブリタニア司令官となり、ウェールズに住む首長の娘と結婚するんだ。勢力を固め大陸に攻め込み、不評の西ローマ皇帝ヴァレンティン一世を倒し、自ら西ローマ皇帝を名乗ったんだ。
マグヌスは簒奪者として、テオドシウス・エルダーの息子、東ローマ帝国のテオドシウス皇帝に倒され、歴史から消えます。マグヌスに関しては、歴史書に殆ど記述されていませんが、スコットランドやウェールズには多大な影響を与えた人物です。
※マグヌスに関する記事
イギリスの英雄伝説を作った男、西ローマ皇帝「マグヌス・マキシムス」 ~成功に必要な条件とは~
ローマ支配の終焉
この大規模な反乱が起こってからローマ帝国は気を引き締め、地位のあり信頼できる人物を司令官に派遣したんだ。先ほどのマグヌス、コンスタンティン2世、コンスタンス1世などだ。
ん? 何か聞いたことがある名前?
コンスタンティンやコンスタンスは、アーサー王物語の原形と言われる、ブリタニア列王史にも登場し、コンスタンティンはアーサー王の祖父、コンスタンスはアーサー王の叔父と書かれているんだよ。
しかし、この頃になるとローマ帝国自体が、外敵から攻められ衰退していくんだ。もはやブリタニアにローマ軍を置いておく余裕がなくなり、410年にホノリウス帝はブリタニアの直接支配から撤退するんだ。
参考:アーサー王伝説 アーサー王は実在したのか?歴史書にみるアーサー王と先祖
と言うことは、2つの城壁に囲まれた領域の首長たちは、勢いづきますね。
アルトクラッド国(Altclut)はシンユニット、ゴトウディン国(Gotoudin)はパダンや息子エダンが自治をしながら、やっぱりピクト族の進入と戦ったんだ。
ローマ軍にかわり、彼らを監督したのが、ブリタニアで最大の権力を持ったコエル・ヘンだ。コエルは南のハドリアヌス城壁より南のブリタニア(Nothern Briain)を支配し、北部にも影響力を及ぼした重要人物だ。
ローマ支配が去った後、スコットランドのブリタニアは、この3人の子孫が主に支配していく事になるんだよ。
※本文中と地図中で若干スペルが異なっています(表記がいくつかある為)
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最後まで読んでくださり有難うございました。
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