(18.7.27更新)
こんにちは、たなかあきらです。今回はウィリアム・シェイクスピアの謎、別人説についてのお話です。
ウィリアム・シェイクスピアは、1592~1612年ごろまで約20年にわたって活躍した作家で、四大悲劇である、「ハムレット」「マクベス」「オセロ」「リア王」をはじめ、
「ロミオとジュリエット」「ヴェニスの承認」「夏の夜の夢」など数多くの作品を残しています。
※シェイクスピアは、2002年にBBCが発表した「100名の最も偉大な英国人」の中で第5位にランクインしています。
シェイクスピアは「史上最高の劇作家」と呼ばれていますが、同時に「文学史上最も謎に満ちた劇作家」と呼ばれているのです。
👉シェイクスピアに関する記事一覧
・ウィリアム・シェイクスピアの謎 映画「もうひとりのシェイクスピア」のあらすじ(言葉は権力に勝る)
ウィリアム・シェイクスピアの生い立ち
シェイクスピアの生家(筆者撮影)
シェイクスピアは、1564年に、イングランドの街ストラッドオード・アヴォン・エイヴォンに産まれ、現在も生家が残されています。
シェイクスピアは、ごくごく普通の平凡な男でした。
父は皮手袋の職人で事業に成功し、町長になったこともある議員でした。しかし、1575年ごろから一家は脱落し、11歳ごろのシェイクスピアは学業を中断し、家業を手伝ったり奉公に出たりして一家を支えました。
地元の中学を出ただけで大学にも行けず、シェイクスピアは18歳の時に、8歳年上のアン・ハサウェイと結婚しました(できちゃった婚らしい。そして21歳に時には、3人の子供の父親になっていました。
ところが、1585年頃にロンドンに進出してから人生が変わりました。
8年後には、ロンドンの表舞台で俳優として突如登場し転身をとげます。さらに、ヘンリー6世を書き上げ作家としてもスタートし、戯曲や詩を次々と発表する人気作家として活躍しました。
シェイクスピアは1613年、49歳の時に引退し、余生は演劇とは無縁の生活を送ったそうです。
かの有名な、チャップリンもこう言いました。
「少なくともストラッドフォード出身の小僧とは思えない」
あまりにも突然、平凡な男から人気作家へと「華麗なる転身」を遂げたシェイクスピアに、影武者説が多くでているのです。
華麗なる転身の疑惑
ストラッドフォード・アヴォン・エイヴォン(筆者撮影)
シェイクスピアの影武者説の背景には、いくつかの疑惑があります。
その1 うだつの上がらない男
チャップリンの言葉にあるように、シェークスピアは学歴がほとんどありませんでした。
しかし、シェイクスピアの戯曲には、宮廷社会、法律、医学、博物学、外国事情など、多岐広範囲に及んでおり、また16世紀に使われた英単語の8割が使用されていました。
さらには、シェイクスピアは数千もの造語を作ったとも言われています。
このように、シェイクスピアの戯曲を書くためには、超一流の知性と教養、知識と経験を兼ね備えた人物でないと書くことが出来ません。
ストラッドフォード出身で学歴もなく、アネさん女房の尻に敷かれて、うだつの上がらない、ごく平凡生活をしている若者が書くことが出来るのでしょうか?
※動画はシェイクスピアが作ったとされる英単語:
その2 直筆原稿はどこへ?
シェイクスピアが活躍した16世紀後半のエリザベス1世の時代から、現在に至るまで約400年間、シェイクスピアの直筆原稿は、作品、日記、手紙に至るまで、何一つ発見されていません。
シェイクスピアが戯曲を書いた、という証拠が全く残されていないのです。
また、シェイクスピアの遺言状には、妻に2番目に上等な寝台と付属品を与えるなどと細かく書かれているにもかかわらず、蔵書や著作に関わる内容は全く触れられていないのです。
これらの事から、シェイクスピアは影武者で作品は書いておらず、実際に作品を書いた人物がいたのではないか?という疑いが昔から存在しているのです。
シェイクスピアの作品を書いた候補者は60人以上もいるとされますが、代表的な人物を紹介します。
ウィリアム・シェイクスピアの候補者たち
①エリザベス1世説
シェイクスピアはエリザベス1世の時代に活躍し、エリザベス女王自身もシェイクスピアの戯曲を楽しんだようです。
よく見ると肖像画の顔の形が似ており、このことからエリザベス1世説も出ています。
※シェイクスピアの劇を鑑賞するエリザベス1世の場面が登場
恋におちたシェイクスピア(字幕版)
②妻アン・ハサウェイ説
姉さん女房のアンが書いていたのではという説があります。
アン・ハサウェイ (シェイクスピアの妻) – Wikipedia
③劇団員説
シェイクスピアという名前は屋号のようなもので、複数の劇団員が書いていた、と言う説があります。
④クリストファー・マーロウ説
クリストファー・マーロウ(1564₋1593)はエリザベス朝を代表する、劇作家、詩人、翻訳家です。生まれた年はシェイクスピアと同年で、シェイクスピアが登場するより早い時代に人気作家として地位を確立ました。
29歳の若さで謎の死を遂げますが(殺人?)、その時期に丁度シェイクスピアが脚光を浴び始めています。マーロウの死は偽装で、シェイクスピアとして活躍したのでは、という説があります。クリストファー・マーロウ
※マーロウの戯曲を元に映画化されたエドワードⅡ
⑤フランシス・ベーコン説
フランシス・ベーコン(1561₋1626)は思想家、哲学者、詩人、外交官で、「知識は力なり」の言葉でも有名です。
ベーコンはイギリスの財務府高官セシルの甥で、エリザベス1世とジェームズ1世の二代にわたって重用され、司法卿や大法官に任じられ、深い知識を持っていました。
ベーコンの蔵書には、シェークスピアの戯曲の逸話に出てくる引用句が、すべて含まれているそうです。
ベーコンは司法長官に就任しとても多忙となりますが、その時期とシェイクスピアがエリザベス時代を代表する知識人で、海外を舞台にした戯曲を書く、知識を十分に持っていたと考えられます。
⑥第17代オックスフォード伯 エドワード・ド・ヴィア説
オックスフォード伯(1550-1604)は、エリザベス1世の寵臣で貴族であり、政治家、哲学者、随筆家としての顔を持ち、役者や文人のパトロンでもありました。自身も戯曲、叙情詩で知られています。
オックスフォード伯はエリザベス1世の第一秘書であったウィリアム・セシルが上司であり、セシルの下でフランス語、ラテン語、天文学、画、舞踊、乗馬などの修行に励み、幅広い教養を身に着けました。
オックスフォード伯は1575年~エリザベスの命により7年間外国へ派遣され、フランス王アンリ3世や王妃と面会し、フランス(ストラスブール)、イタリア(ミラノ、ヴェネツィア、フィレンツェ、シエーナ)などに滞在し、豪勢な生活を送ったそうです。
さらにオックスフォード伯は槍の名手であり、Spear-Shaker(槍を振るう人)というあだ名を持っていたそうです。この2文字のあだ名をひっくり返すと、Shak(er)spearとなり、シェイクスピアの名前にそっくりとなります。
このようにオックスフォード伯は、幅広い教養や知識を身に付け、上流階級の生活にも親しみ、長期の海外遊説も経験しており、文才ももちろんあることから、シェイクスピアの作品を書いた人物ではないか、と言われています。
・ウィリアム・シェイクスピアの謎 映画「もうひとりのシェイクスピア」のあらすじ(言葉は権力に勝る)
最後に
いかがでしたでしょうか?
シェイクスピアにはこんな多くのミステリーがあるとは驚きですよね。
しかし、500年たった今でも、なおシェイクスピアの作品は世界中で親しまれているのは、すごいなあと思います。もっと作品に触れてみたい!と思います。
シェイクスピアについて知っていただいたのなら、シェイクスピアの生まれ故郷であるストラッドフォード・アポン・エイヴォンに訪れて、直にシェイクスピアに触れてみてはいかがでしょうか? 新たなシェイクスピアの発見があるかもしれませんよ。
👉シェイクスピアに関する記事一覧
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参考)
世界遺産ミステリー ⑥シェイクスピアの真実 – YouTube
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