9世紀に北ウェールズのロドリ大王はウェールズの小国を束ねて、初めて大部分のウェールズを支配下に置きました。
ウェールズの結束を強めるためには、息子たちに早めに領土を継承して基盤を固めることが必要だと、考えました。
当初はうまく機能しましたが、ロドリ大王の思惑はうまく行かず、ウェールズ王室の分裂へとつながっていきました。この詳細についてお話いたします。
👉ロドリ大王の功績
>>ロドリ大王(Rhodri the Great)中世ウェールズで初めて小国を束ねた王
👉この時代の背景
>><改訂版>第4章 ウェールズに大王が登場し天下を統一した時代
ウェールズの三国強化
中世ウェールズは南東部を除くと、主にグウィネズ(Gwynedd)、デハイバース(Deheubarth)、ポウィス(Powys)の三国がありました。
9世紀頃には、ウェールズはアングロサクソン族の国ウェセックスやマーシア、ヴァイキングから攻められて苦しい状況でした。
ウェールズ全体が団結して国力を高め、幾度となく攻めてくる敵に一団となって立ち向かい、ウェールズを守っていかなければならない状況でした。
ロドリ・ザ・グレート
グウィネズ(Gwynedd)、デハイバース(Deheubarth)、ポウィス(Powys)の三国を統治していたロドリ大王(Rhodri the Great)にはアナラウド、カデル、メルヴァンの3人の息子がいました。
長男のアナラウドにはウェールズの中心的な存在であるグウィネズ(Gwynedd)、次男のカデルには西のデハイバース(Deheubarth)、三男のメルヴァンには中央のポウィス(Powys)を分け与え、アナラウドを中心にウェールズの結束を固めさせました。
しかし、アングロサクソン七国の一国であるマーシアは、878年にセオルウルフ王(Ceowulf)がロドリ大王に攻撃してきました。一度は脱出しましたが、再びマーシアに攻められた際に、ロドリ大王は戦死してしまいました。
これに対して、ロドリの3人の息子たちは結束を強めて抗戦し、881年にマーシア軍を撃退しました。(コンウィの戦い、Battle of Conwy)
この戦いは、「ロドリのための神の復讐」と呼ばれ、3兄弟は「ブリテンの三王」と呼ばれるまでになりました。
ウェールズ内の領土争いで対立する兄弟たち
ロドリ大王のかたき討ちに成功した3兄弟でしたが、徐々に結束は弱まっていきました。
・長男のアナラウドは欲が深い野心家で、しかし嫉妬心が深い
・次男のカデルも野心を燃やすが、父譲りの聡明なところがあり人望もある
・三男のメルヴァンはひ弱で曖昧な人物
と推測しています。
人一倍、領土拡大の野心を燃やすアナラウドは、カデルの存在がとても邪魔であったのだろうと考えられます。
当時、アングロ・サクソン七王国の中で最大の勢力を持っていたウェセックスのアルフレッド大王と手を結び、カデルのデハイバース国を攻撃して侵略・略奪をしました。
これに対してカデルも反撃し、アナラウド軍を押し戻し、元の国境付近にまでに達しました。この勢いに乗ったカデルは、三男メルヴァンのポウィスを攻め領土を奪ってしまいました。
こうしてあっけなく3兄弟の結束は崩れてしまました。
アナラウドとカデルの対立が深まって、ウェールズは再び内乱がはじまり弱体化していきました。
アナラウドはその後も領土拡大にこだわり、デハイバース以外のウェールズ南東部の国々も執拗に攻めるようになり、ウェセックスからも危険人物視されていきます。
そこで、アナラウドに攻められたカデルは、この時はウェセックスの力をうまく利用し
アルフレッド大王に忠誠を誓って同盟を結び、アナラウドを攻めて滅ぼしました。
こうして、ウェールズの王室は、アナラウドを創始者とする家系をアバファラウ家、カデルを創始者とする家系をディナヴァウル家に分裂し、今後お互いが覇権を争っていくことになるのです。
👉ロドリ大王の功績
>>ロドリ大王(Rhodri the Great)中世ウェールズで初めて小国を束ねた王
👉この時代の背景
>><改訂版>第4章 ウェールズに大王が登場し天下を統一した時代
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