イギリスの大英博物館に所蔵されている有名な、「サットン・フー」の冑とは何でしょうか?
また、歴史上の誰の冑だったのでしょうか?
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サットン・フーとは
サットン・フー(Sutton Hoo)はイングランド東部のイースト・アングリアで発見された、アングロ・サクソン王の墓(船葬墓:船を棺にしたり、副葬品としたもの)です。
サットン・フーが発見された一帯は、中世イースト・アングリア王国の墓地などの遺跡が多く見つかっています。
その中で1号墓地と呼ばれる地域から発見された船葬墓の事を、サットン・フーと呼んでいます。
サットン・フーからは、全長27mの木製の船をはじめ、有名な戦士の甲冑(かぶと)や剣・盾、豪華な装飾品など(ブローチ、皿、角杯など)が見つかり、 現在は大英博物館に展示されています。
サットン・フーの埋葬品の画像など(大英博物館)
サットン・フーの埋蔵品は大英博物館に展示されており、甲冑の面、装飾品などの所蔵品の写真が、ホームページに載っています。
サットン・フーは誰の墓?
赤い領域がイースト・アングリア(ウィキペディアより)
サットン・フーの副葬品の中には、西暦 625 年と刻まれた金貨が含まれており、 7世紀の初め頃の船葬墓ではないか?と推定されています。
サットン・フーはイースト・アングリアの王の墓と仮定しますと、7世紀初め頃の王は、レッドウォールド、エアルプワルド、シゲベルドとなります。
この3人のうちの誰かの墓ではないかと考えられます。
623年頃になくなったイースト・ アングリア王レッドウォールドの墓という説が有力です。
サットン・フーの時代の歴史背景
イースト・アングリア王国(The kingdom of East Anglia)は、アングロ・サクソン七王国の1つです。
レッドウォールド(Rædwald)はアングロサクソンの王国、イーストアングリアの王で599年~623年頃(624年や627年の説も)年まで統治していました。
レッドウォールドの時代はとても困難な時期でした。
・ヴァイキング達がイーストアングリアに侵略して、修道院を次々に破壊していました。
・アングロサクソンの国同士でも争いが続いていました。レッドウォールドはケント
王国のエゼルベルト王の支配下にありました。
レッドウォールドは、ノーサンブリア王国を追放されたエドウィンを保護し、ノーサンブリア王国のエゼルヴリス王を616年に倒しました。
また、ケント王国のエゼルベルト王も616年頃に亡くなり、レッドウォールドは勢力を広げて、もっとも強力な王の1人となりました。
レッドウォールドは最も勢力のある王の称号である「ブレトワルダ」の1人とされ、この偉大な王を葬った墓が、サットン・フーと考えられます。
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