こんにちは。ウェールズ歴史研究家、たなかあきらです。
今回は、ウェールズの歴史に名を残す、美しい女傑グウェンリアン(Gwenllian)についてのお話です。
ウェールズを追い出された男
時代は12世紀初め、ウェールズ西部の国、デハイバース。父から国を受け継いだグリフィズ・アプ・リース(リースと呼びます)が統治者になりましたが、国を治めることが出来ませんでした。
当時のウェールズには強敵がいたのです。イングランドです。グリフィズの父リースの時代はイングランドと協定を結んでいましたが、父が亡くなるとイングランドはデハイバース国に侵略し、リースは国を追われアイルランドに逃亡せざるを得なくなったのです。
リースは何とか国を取り戻す方法はないかと考えました。リースは父と仲が良く、度々運命を共にして戦った、グリフィズ・アプ・コナン(G・コナンと呼びます)を思い出しました。
G・コナンはウェールズ北部のグウィネズ国の統治者で、イングランドから国を守り、ウェールズ内では最も勢力のある人物でした。
何とか力になってもらえないだろうか。1113年、グリフィズはアイルランドを抜け出しの元へ出かけるのでした。
※グリフィズの父のお話
ウェールズの美女グウェリン
※イメージです
ウェールズの実力者G・コナンを訪れたグリフィズは、美しい娘と出会いました。彼女の名前はグウェリン。グウェリンのあまりの美しさに、グリフィズはすっかり心を奪われてしまいました。
グウェリンは、G・コナンと妻アングハラドとの間に産まれた末の娘でした。グウェリンは成長するにつれて、その美しさは輝きを増し、ウェールズの歴史に残るほどの評判になっていました。きっと、グウェリンに求婚する貴族たちは、数多くいたことでしょう。
こんな美しい娘と結婚出来たらさぞかし幸せだろう。しかし、こんな不甲斐ない逃亡生活を送る自分では許されることはない、夢のまた夢のことだろう。グリフィズはそう思っていたかも知れません。
しかし、思わぬ事態がグリフィズに訪れます。グウェリンもまた、リースに恋をしてしまったのでした。ロマンティックな恋の始まりですが、旧友の息子とはいえ、敵に敗れ国を追い出された甲斐性のない男と、美しい娘の結婚を許してはもらえないだろう。そう思った二人は、駆け落ちしてしまうのです。
自分たちの力で、イングランド軍に打ち勝ち、デハイバース国を取り戻さなければならない。そうしないと、グウェリンの父G・コナンからも認めてはもらえないだろう。
グリフィズはデハイバース国に戻り、イングランド軍と粘り強く戦うことを決意します。これからは、グリフィズは一人ではなくグウェリンもいるのです。グウェリンは美しいだけでなく、とても勇敢でした。グリフィズと共に戦場に出て、共に戦うたくましい強さも持っていたのです。
グリフィズとグウェリンは山々や森林に築いた要塞城に立てこもりました。王がカムバックし、さらに絶世の美女であるグウェリンが共に戦う・・・こうなっては、デハイバースの人々も勇気とやる気100倍になります。
グリフィズとグウェリンが率いるデハイバース軍はretalitory strikes(報復的な襲撃)または、lightining raids(稲妻攻撃)と呼ばれ、共に結束してイングランド軍と戦ったのです。
このようにグリフィズとグウェリンは、20年以上もイングランドからの侵略を守るために、夫婦手を取り合い二人三脚で頑張ってきたのでした。
運命の戦い
※イメージです
そして、ウェールズにとってイングランドを打ち負かす、大きなチャンスが訪れました。そしてグリフィズとグウェリンにとっても、運命の出来事が起こるのです。
1136年の事でした。
当時のイングランドは、ヘンリー1世が亡くなり、甥のスティーブンと娘のマティルダが後継争いを始め、ウェールズへの注意が希薄になってきたのです。
この絶好の機会を見て、ウェールズの各地で統治者たちは忙しく動き始めました。最初の号砲は、南ウェールズで起こりました。ブリチェイニオグという小国を治める首長ハウェルが反乱を起こし、ウェールズ内に領土を陣取っていたイングランド軍を攻めて、勝利を得たのでした。
この機を逃すものかと、グリフィズはグウェリンの兄オウァイン王(後のオウァイン大王)と協力してウェールズ同盟を結成し、ウェールズからイングランドを追い払う戦いを起こすそうと、計画したのです。
グリフィズはオウァイン王との会合のために、デハイバースを発ちグウィネズに向かっいました。
デハイバース統治者不在を見計らったのでしょうか、辺境にいたイングランド軍が突如としてデハイバースに攻め込んできたのでした。
「夫が不在のデハイバースを守らねばならない」。勇敢なグウェリンは自ら軍の先頭に立ち、キドウェリー城付近で、果敢にもイングランド軍と交戦したのでした。
さぞかし、美しく心強い女王であったのでしょう。
多くの人々を魅了する、勇敢で頼れる女王であったのでしょう。
しかし、善戦むなしくデハイバース軍は敗れ去り、グウェリンは捕らえられて首をはねられ、二人の息子も殺害されてしまったのです。
グウェリン戦死の訃報はウェールズ内を駆け巡りました。美しい妻を失ったグリフィズは深く悲しみ、またウェールズの人々も悲しみに暮れました。同時にグウェリンの熱く燃えた愛国心に強く心を打たれ、ウェールズの人々はみな奮い立ちました。
「グウェリンの復讐」を合言葉に、大規模なウェールズの反乱が勃発したのです。
ウェールズの南東にあるグウェント国で、イングランドに対する反乱が起きました。続いて、グウェリンの兄たちも反乱に参加し、イングランドが占領していたウェールズの土地に、次々と攻め込んで行ったのでした。
グウェリンの夫グリフィズと、兄オウァインらが率いるウェールズ連合軍が、イングランド軍に襲い掛かり、イングランド軍を壊滅させる大勝利を収めたのでした。1136年に起きた、Crug Mawrの戦い。
絶世の美しさと勇敢さを兼ね備えたウェールズの女傑グウェリン。ローマ帝国に立ち向かった、1世紀の古代ケルト族の伝説リーダー、ボーディカと共に、グウェリンは勇敢な女性リーダーとして歴史に、またウェールズの人々の心に刻まれています。
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※ウェールズ王シリーズ
ウェールズの女傑ヘレンwww.rekishiwales.com
最後まで読んでくださり有難うございました。
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