こんにちは、たなかあきらです。(19.12.28更新)
中世のウェールズは、イングランドからの侵略・支配に苦しんでいました。
またスコットランドにも、イングランドの侵略の手が及んでいました。イングランド支配に対して、スコットランドで立ち上がった国民的英雄、ウィリアム・ウォレスのお話をします。
※ウィリアム・ウォレスを描いた映画ブレイブハートより
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スコットランドの時代背景
スコットランドはどんな時代だったんですか?
13世紀、スコットランドではイングランドの横暴や圧迫がはびこっていた。1292年にイングランドのエドワード1世は、時のプリンス・オブ・ウェールズを倒してウェールズを占領し、その支配をスコットランドにも広げようとしていた。
1290年、スコットランドのマーガレット女王が亡くなると、次のスコットランド王を決めるまでに空白期間が出来てしまった。スコットランド貴族は親イングランド派が多くいて、イングランド王エドワード1世に従うグループは、ジョン・ベイリャルをスコットランド王に選出したんだ。エドワード1世はこの機会を利用しようと企んだんだ。
むむむ。ウェールズにつづきスコットランドも・・・
エドワード1世はスコットランドを服従させてベイリャルの力を弱め、スコットランドをイングランドの一部にしようとしたんだ。
これに対抗してスコットランド議会はベイリャルを廃位し、フランスと同盟しようと協定を結んだんだ。
これを知ったエドワード1世は怒り、1296年に仕返しのためにスコットランドの侵略戦争を始めたのであった。
ジョン・ベイリャル (スコットランド王) – Wikipedia
スコットランドの人々は、狂暴なイングランド王エドワード1世に挑戦しスコットランドを守るヒーローを探していた。スコットランドの自由のため、スコットランドの勝利のために立ち上がり、戦う勇敢な人物を求めていたんだ。
その時、スコットランドの人々の信念を勇気づけ、人々が正しいと信じるものの為に、喜んで立ち上がり戦った人物が現れた。
それがウィリアム・ウォレスなんですね。
その通り。ウォレスは、虐げられていたスコットランドの人びとに励ましと決断を与え、正義と自由の名の下に立ち上がり、圧力をかけるイングランドに対して戦いに挑んだんだ。
だから、スコットランドの英雄と呼ばれるようになったんですね。ウォレスはどんな戦いをしたのでしょうか?
立ち上がるウィリアム・ウォレス
ウォレスの生い立ち・性格
ウィリアム・ウォレスは1270年頃にスコットランドで生まれたとされ、父はスコットランド騎士のマルコム・ウォレスで、敵イングランドのフェンウィックに殺されたんだ。
マルコム・ウォレスは勇敢に粘り強く戦った末に殺され、この性格がウィリアムにも伝わり、イングランドに対する怒りを引き起こし復讐に燃えるきっかけになったと考えられる。
ウォレスは身長180cmを越える、当時としては大男で、とても激しい性格を持っていたんだ。
ウォレスが立ち上がった事件
スコットランド南部の村、ラナークのイングランド保安官であるウィリアム・ヘッセルリグ(William Heselrig)は、ウォレスの義兄弟を処刑するという事件が起こった。
復讐のため、ウォレスは仲間とラナークの街に浸入し、数十人のイングランド復讐に兵を殺害した。これに怒ったヘッセルリグはウォレスの愛人マリアンを殺害したのだ。
ウォレスは哀しみと怒りに震え、ヘッセルリグと、ラナークに駐在するイングランド軍に再度復讐を計画するんだ。
ウォレスは仲間と供にラナークの街を襲い、女性と子供、聖職者は救い、ヘッセルリグと全てのイングランド兵を殺したんだ。(Action at Lanark)
この事件はイングランドの暴挙に苦しんでいたスコットランドの民衆に伝わったんだ。そして人々に、イングランドの侵略者達を永久に追放する為に、ウォレスと供に武器を手に取り立ち上がる勇気を与えたのです。こうして、ウォレスの反乱が始まったんだ。
ウィリアム・ウォレスの反乱
広がる反乱
ウォレスは愛国者でありスコットランドの平和と自由への熱い思いを持っていました。この熱い思いはスコットランドの人々を終結させ、人々の信頼と忠実さを得ることが出来たのです。
ウォレスは羊がライオンに変わるように、精神を信じさせ、戦いに挑む能力以上の能力がらあると信じさせたのです。
ウォレスは熱血漢あふれる、とても魅力的な人物に見えますね。
ウォレスの挙兵を受けて、エドワード1世はサリー伯ジョン・デ・ウォーレンに、スコットランドへの進軍命令を出した。重装備を装着した騎馬隊のイングランド大軍を率いたサリー伯は、勝利を大いに期待されて北上していった。
というのも、サリー伯はスコットランド軍にダンバーの戦いで勝利した経験を持ち、さらにイングランド軍は兵力で大きくウォレス率いるスコットランド軍を上回っていたからである。
スコットランド:騎馬隊~300、歩兵5000~6000
イングランド :騎馬隊2000、歩兵7000
これは、スコットランドは兵力に劣り、とても不利ですね。どうやって戦ったのですか?
スターリング・ブリッジの戦い
現在のスターリング・ブリッジ
ウォレスと北スコットランドの貴族アンドリュー・モーレーが率いるスコットランド軍と、イングランド軍はスコットランドのスターリングで激突することになったんだ。
スターリングはスコットランドの北部に抜ける交通の要所であり、戦うためにはスターリング・ブリッジを渡る必要があったんだ。
スターリング・ブリッジは現在は石造りですが、当時は木製でわずか2騎の騎馬が通れる広さしかなかった。なので、全軍がこの橋を渡ろうとすると何時間も要したんだ。
このブリッジを利用したわけですね。
ウォレスはスターリング・ブリッジの北側にある、アビー・クライグ丘に陣を張ったんだ。これに対し、サリー伯は橋を渡ることが、戦いに不利になると考えて数日間渡らずに偵察を続け、交渉に持ち込もうと企てていたんだ。しかし、ついに攻撃を始めようと橋を渡ることを決断したんだ。
ついに、戦闘開始です。ドキドキしますね。
数に勝り、騎兵を多く抱えるイングランド軍に攻め込まれては、スコットランド軍は苦境に立たされてしまったけど、ウォレスはじっと攻める時期を見計らっていたんだ。
ウォレスはあるトラップを仕掛けたんだ。イングランド軍の半数が橋を渡るのを待って、スコットランド軍の槍部隊が高い位置から、一気に攻め降りたんだよ。
イングランド軍はどうなったのですか?
イングランド軍は半分に分断され、橋を渡り切ったイングランド軍は逃げ場を失い、援軍も絶たれて全滅したんだ。
橋を渡っていなかった残りのイングランド軍は対抗しようとしたんだけど、イングランド軍に加わっていたジェームズ・ステュアートらスコットランド兵は撤退してしまい、反撃ができなかったんだ。
さらに、ジェームズ軍によってイングランド軍の食料供給車も破壊され、逃亡したイングランド軍も多くが殺害される結果となったんだ。
※映画 ブレーブハートより
イングランド軍の大敗だな。(9000人のイングランド軍のうち、5000人以上が殺されました)。このスコットランド軍の大勝利のあと、ウォレスはナイトに叙され、スコットランド王国の守護菅(Guardian of kingdom)に任命されるんだ。
ウォレス、やりましたね。
ウォレスは勝ち続けるのか?
ウォレスはアンドリュー・モーレーと協力して反乱を続けイングランド北部に進軍するんだ。しかし依然として、スコットランド貴族たちの多くはイングランドに服従をしており、ウォレスたちの反乱に協力的ではなかったんだ。
勝ち進んだとは言え、順風ではなかったんですね。
そして、屈辱的なフォルカークの戦いが起こるんだ。フランスにいたエドワード1世は、急きょフランス王フィリップ4世と休戦し、イングランドに戻ってきました。そして、エドワード1世が自らイングランド軍を指揮し、フォルカークで戦うんだ。
スコットランド軍6000人に対し、イングランド軍は15000人と再び、イングランド軍が優勢であった。
スコットランド軍は、なかなか戦いを仕掛けてこず、イングランド軍は兵糧が減り苦戦を強いられた。更にスコットランドの槍攻撃に、イングランド軍は手こずるんだ。
また、数は少ないスコットランドが勝利するのでしょうか?
ここで登場したのが、ウェールズ兵なんだ。イングランドに支配されているウェールズの戦士たちが、イングランド軍に参加していたんだ。ウェールズは破壊力があり長距離の敵をもうち落とす、ロングボウの強力部隊を持っていたんだよ。
このロングボウを中心とし、さらにクロスボウ(短距離)や投石によって、スコットランド軍は崩れ始めたんだ。さらに、スコットランド軍の貴族が率いる兵の中には、戦わずして退却する者たちも多くいたんだ。(かつてのイングランド派の貴族)
ついにスコットランド軍は敗北し、ウォレスはフランスへ逃亡します。この敗北により、ウォレスはスコットランド王国の守護菅を辞職したんだ。
※フォルカークの戦いの一場面、映画ブレイブハートより
フォルカークの戦いに勝利したエドワード1世は、1300年からスコットランドを侵略し、1303年5月にスコットランドを制圧したんだ。
それでウォレスはどうなったのですか?
フランスに逃亡したウォレスは、1298年から約5年間、何をやっていたのか動向はわかってないんだ。1305年にかつての部下に裏切られ、ウォレスはイングランド軍に引き渡されてしまいます。
ウォレスは大逆罪の罪を問われ、首つるし、斬首、引き裂き、さらし首の刑に処せられてしまった。スコットランドの抵抗運動を抑えるために、見せしめ脅しをしたものと思われるんだ。
もうこれでスコットランドはイングランドに征服されてしまうのでしょうか?
まとめ、最後に
愛国心の強いウォレスのキャラクターは、敵陣の中に突撃する恐怖に打ち勝ち、戦争好きで侵略者であるイングランドの王エドワード1世に対抗する勇気を与えたのです。
スコットランドの平和を勝ち取るためにに、ウォレスがイングランドと戦ったことは、世界の多くの人々に知られ、人々の心をとらえ感動を与えました。
1869年に約67mの砂岩を積み上げられて塔が作られました。この国立ウォレス・モニュメントは、誇らしげにイングランド軍に大勝利した時に陣を張ったアビー・クレイグ丘に立ち、スターリングの街を見渡しています。
※スコットランドの素晴らしい風景と共にお楽しみください。
そして・・・・・
ウォレスの敗退によって、スコットランドはイングランドに占領されましたが、スコットランドの反乱は終わりませんでした。
反乱は、ロバート・ブルースが引き継ぎました。ロバート・ブルースはスコットランド王ロバート1世となり、いったんはエドワード1世に服従します。
しかし、エドワード1世が亡くなると反乱を起こし、1314年のバノックバーンの戦いで、エドワード2世率いるイングランド軍に勝利し、ロバート1世はイングランドからのスコットランドの独立を武力で勝ち取ったのです。
参考:William Wallace, Braveheart – The True Story | Owlcation
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